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新 堕落性の構造 66

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

18. 主体性のなさは罪観のなさ

◉神中心の思想の確立
 日本人がこれから世界に対して、その経済力にふさわしい責任を果たしていくために、どうしても越えなければならないハードルは、神中心の思想の確立ということです。

 日本には仏教、神道その他あまたの宗教があり、宗教的国民であると考える人が多いと思います。しかしそれらは、価値観が混乱している現在の世界に対処するほどの力はありません。そこにオウム真理教のような宗教が入りこむスキが生じるのです。日本国憲法は信教の自由をうたう一方、国の行事にいかなる宗教も関与するのを禁じています。それゆえ公教育には宗教の時間がありません。それがかえって国民を無宗教にしているきらいがあります。世界中を旅行していると、国によっては(特に中近東では)書類に宗教を書かなければならないことがあります。大抵の日本人は家が仏教だからと「仏教徒」と書く人が多いようですが、自分の生活とは何のかかわりもありません。

 今は欧米でも真のキリスト教徒は少なくなりましたが、それでも彼らを生きて導く神なのです。イスラム教徒が「イスラム教徒」と書くとき、彼らはそれを生活において実践しているのです。そういう点においては、彼らに神は生きているのです。

 今日の日本には、5万人以上の留学生が学んでいます。彼らは日本の技術には尊敬するが、日本人には批判的になって帰る人が多いと聞いて、心が痛くなります。私はその根底にある問題は、日本人に神中心の思想がないからだと思っています。彼らは、技術は遅れていても、はっきりした信仰をもっている場合が多いからです。自己中心ではなく神中心の思想が確立していない限り、日本が世界に貢献しても受け入れられないでしょう。

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 次回は、「触らぬ神にたたりなし」をお届けします。


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