https://www.kogensha.jp

新 堕落性の構造 65

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

18. 主体性のなさは罪観のなさ

◉「罪の文化」と「恥の文化」
 欧米人と日本人を対比するとき、よく引き合いに出されるのがルース・ベネディクト女史の『菊と刀』です。彼女はキリスト教を基盤とした欧米人の思考様式を「罪の文化」と規定し、人の目を気にする日本人のそれを「恥の文化」と規定しました。日本にももちろん仏教や神道という宗教はありますが、キリスト教のように罪観が明確でなく、罪がどこから来たかという説明がありません。だから日本人は自分のやっていることが神の前に罪かどうかというより、他人が自分をどう見るかということのほうが重要になるのです。

 欧米人は日本人に比して主体性があります。それは人が自分をどう思うかより、自分が神の前に正しいかどうかが問題であり、神から見て正しいなら人がどう思おうとそれをやり遂げるという伝統的思考様式が確立されているからです。それがまた科学技術を発展させる力にもなったのです。

 聖書によれば天使長(蛇)がエバを堕落させるとき「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神がいわれたのですか」と神を不信させました。したがって堕落人間は、神の心を知らず、自分のことだけを考えるようになったのです。これが自己中心です。

 だから日本人が人の目を気にするとき、神のことより自分のこと、すなわち自己中心に陥っていることを意味しているのです。これが日本人をして欧米人に太刀打ちできなくさせる最大の原因なのです。

---

 次回は、「神中心の思想の確立」をお届けします。


◆『新 堕落性の構造』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ