2023.02.01 17:00
スマホで立ち読み Vol.21
『み言に学ぶ統一原理【前編】』7
スマホで立ち読み第21弾、『み言に学ぶ統一原理【前編】』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
本書は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が統一原理について語られた内容を『原理講論』と同じ章構成でまとめたみ言集です。
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総序について
人間の幸福と矛盾性
人間は誰もが幸福な生活を追求しています。幸福を享受しようとすることは、誰も抑えることのできない人間の欲望であり理想です。数千年の人類歴史において、このような理想をもたない人は一人もいないでしょう。(65-254、1972.11.26)
人々が願う希望の中心とは何でしょうか。幸福です。幸福な世界です。その幸福を中心として平和や自由や理想が連結されるのです。それでは、その幸福をなぜ今、私たちが願い、求めるようになったのでしょうか。なぜ最初からその幸福が始まらなかったのでしょうか。このようなすべてのことが問題です。(107-109、1980.4.15)
人間の不幸の原因とは何でしょうか。今まで人間は、この不幸の原因を解明し、完全に喜び、幸福でいられる一時を迎える前に、幸福という言葉を使ってきました。しかし、幸福という言葉を使うことはできても、実際には幸福な生活ができなかったということは、歴史的な過程を通してよく体験してきていることです。
それでは、人間は、どうして幸福と満足を得られなかったのでしょうか。それは、私たちが表現し難い負債を背負っているからです。これが核心的な問題です。私たちが背負っている負債を清算しなければ、個人と家庭、国家、世界に幸福が訪れることはありません。
皆さんが生まれる前から、想像もできない悲しみの歴史、闘争の歴史が展開してきたことをよく知っているでしょう。そして、自分の人生を中心として見てみるとき、その心と体を中心として、無限の闘争の交叉(こうさ)路を経ながら生きていることもよく知っているはずです。(4-199、1958.4.28)
私たち人間は、その個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前面に立てて、熾烈(しれつ)な闘争を展開していることを感じながら生きています。私の体であり私の心なのですが、心と体が分裂している自分であることが分かるのです。(294-63、1998.6.11)
神様は絶対者でいらっしゃるので、目的とするところも一つです。絶対的です。神様が絶対的な目的をもって人を造ったのなら、その造られた人がどうして二つの目的をもつ人になったのかというのです。心が目的とすることと体が目的とすることが、なぜ異なるのかということです。宗教はこれを、堕落したからだと言っています。(38-268、1971.1.8)
人間の心と体が葛藤しているという矛盾性は、正に人間始祖の堕落のためです。このような心と体の分裂、相克は、家庭と社会、さらには国家、世界、天宙の分裂と不幸へと続いてきたのです。(294-63、1998.6.11)
思いもよらない人間の堕落によって、神様の創造の動機と目的を蹂躙(じゅうりん)した結果になってしまいました。堕落は苦痛と悲しみと不幸の源泉となり、人間が嫌うあらゆるものの原因となりました。これこそが人類の怨讐(おんしゅう)であり、万物の怨讐であり、創造主の怨讐です。(11-333、1962.4.17)
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次回は、「人間の無知と淫乱の弊害」をお届けします。お楽しみに!