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神の沈黙と救い 11

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

第二章 神の沈黙を考える四つの立場
三 情神論

無惨だった使徒たちの最期

 遠藤周作は『沈黙』の後、やはりこの神の沈黙の問題に焦点を置く『キリストの誕生』を書いているが、その中で、「彼(使徒パウロ)と布教の旅を共にし、確実に彼の死を知っていたルカ福音書と使徒行伝の作者ルカがパウロの晩年の苦しみと死にまったく口を閉ざしている理由」は一体何かと疑問を提起している。

 「ルカはポーロ(パウロ)だけでなくペトロの死、イエスの従兄弟ヤコブの死もそれを知りながら記述していない。……なぜか。理由は明らかである。それはポーロの死があまりにもこの雄々しく強い信仰の人にふさわしくない、あまりに惨めな、あまりにあわれな死だったからである」

 これが遠藤氏自身が与えた答えである。

 パウロがどのように死んだかについては確実な資料がない。「だが彼がローマにおける迫害のなかで『殺された』ことはほとんどの学者が認めており、伝承は彼が首を切られて死んだという」

 遠藤氏は、ことによるとパウロはもっと惨めな死に方をした可能性もあるとさえいう。実際、皇帝ネロの時、ローマに大火が起こり、ネロが放火したのではないかといううわさが立ったので、ネロはローマ市民から嫌われていたキリスト教徒のせいにして、騒ぎを収めようとした。

 キリスト教徒たちは、裁判にもかけられず、「タキトウスによれば、なぶり者として、獣の皮を被らされ、犬にかみ殺された。燃えやすいものを塗られ、日没後、灯火のかわりに燃やされた」。――パウロがもしこんな死に方をしたのだったら、どうだろうというのである。

 「ポーロの過半生を知り、彼と親しく交わったルカはこの鋼のように強い意志と火のように烈しい信仰を持った男が神とキリストのためにどれほど戦ってきたかを熟知していた。エルサレムの保守派よりもこの戦士のような男がどれほどイエスの福音を伝えるために生きたかも知っていた」

 だからその最期をあからさまに書いたら、生き残った教徒たちは、「なぜ、あれほど福音を人々に伝えるために生涯を捧げた男に、神はこんなみじめな死を与えられたのか。なぜ、神は彼を助けず、彼に栄光ある死に方をさせず、犬のように死なせたのか」と言うであろう。ルカにはそれが忍びなかったというのである。

 なお他の使徒たちの後半生は、伝承によれば、(『キリストの誕生』遠藤周作著 新潮文庫より)

①ペトロ(ペテロ)――十字架刑で刑死。主イエスと同じでは恐れ多いと、十字架に逆さにかけられることを希望したともいわれる。

②ヨハネ――イエスの母マリヤの面倒を見たが、マリヤの死後、ローマに行き、迫害にあって、油の煮えたぎる大釜に投げ込まれた。

③アンデレ――ペトロの兄弟。ビザンチンから黒海付近で布教を行い、ギリシャのパトラスの町で十字架にかけられ、死ぬまで放置された。

④トマス――イエスの復活を初めは信ぜず、イエスのわきに手をさし入れて見て初めて信じた弟子。エウゼビオスによると、インダス川からチグリス川まで、ペルシャ湾からカスピ海までの広い地方を歩き回り、インドにも布教したといわれる。マイラポアでバラモン(ヒンズー教僧侶)に石を投げられ、槍(やり)で殺されたと伝えられている。

⑤マタイ――元取税人。ユダヤ人の衆議会によって殺された。

 そのほか、ピリポ、バルトロマイ、熱心党のシモン、タダイなども殉教したと伝えられている。

 その後も、上記のように、新しい土地にキリスト教を伝えようとすると、決まって迫害、殉教と血を流すのが通例であった。その際、神はいつも沈黙し干渉されなかったのである。

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 次回は、「ピルグリムの試練」をお届けします。