コラム・週刊Blessed Life 249
「わたしはすべてのものを新たにする!」

新海 一朗

 聖書に、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」(ヨハネの黙示録 第21章5節)とあります。

 現在の世界の情勢を見ると、これまでの全てのシステムが揺らぎ始め、壊れていくような状況に陥っていると感じます。
 政治のシステム、経済のシステム、社会のシステム、これらの機能が麻痺(まひ)して働かなくなってきていると感じます。

 特に、世界をリードしてきた米国がひどく、その矛盾をさらけ出しているように思われます。
 資本主義の総本山であり、民主主義の総本山でもある米国が、根本的な改革をせずしては一歩も先に進めない状態に陥っていると言わざるを得ません。

 成田悠輔イェール大学助教授は、そもそも、資本主義と民主主義は調和しにくいと指摘しています。
 資本主義経済においては、少数の賢い強者が資源を吸い上げ、事業から生まれた利益を私的所有権で囲い込み、資本市場の複利の力を利かせて貧者を置き去りにするやり方、そのような強者に動かされる仕組みが資本主義だというのです。

 資本主義のこの経験則を描いたものに、トマ・ピケティ(フランスの経済学者)の『21世紀の資本』やウォーター・シャイデル(オーストリアの歴史家)の『暴力と不平等の人類史』などの著書が挙げられます。

 しかし、民主主義は全くその逆であり、民衆の権力、民衆の支配を意味しているので、異質な考えや利害を持つ人々や組織が政治に参入し、互いに競争したり交渉したり妥協したりしながら過剰な権力集中を抑制する仕組みになっています。
 その仕組みが行政府(政府)・立法府(国会)・司法府(最高裁)、および無数の監視機関への権限の分散となるわけです。

 民主主義は、自由で公正な選挙を通じて有権者の民意が政策を決定するようになり、その結果、民衆の意思による権力と支配が実現します。民衆の諸力が憲法に規定され、簡単にその仕組みが解除できない状態になっているのが民主主義の典型的な形です。

 資本主義と民主主義が葛藤する原因は、簡単に言うと以下のようになります。

  「資本主義と民主主義は両立しにくい」

 その理由は、利潤追求の資本主義が強者の論理に立ち、人権尊重の民主主義は多数の弱者の擁護という倫理観に立つので、二つの主義は衝突してしまうのです。

 民主主義は人間の基本的人権を尊重しますが、それはキリスト教精神(神の前の自由と平等)を遵守することを前提として成り立ちます。
 一方、資本主義は一部の富者と多数の貧者を生みながら、強者(資本家)の論理を振りかざします。

 現在の米国の矛盾と葛藤はここにあります。
 資本主義と民主主義を調和させる難題を米国は抱えています。非常に難しい課題です。欧州も同じです。
 結局、資本主義と民主主義を調和統一できなければ、欧米のパラダイムは崩れていくということです。

 そうかと言って、中国の共産主義体制に希望があるわけでもなく、まさに、現在の中国も共産党一党独裁に希望を見いだすことは不可能であり、むしろ崩壊の危機に瀕していると言えます。

 天地創造の神が「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」という言葉で、聖書を締めくくった理由は、理想世界を創造するための最終的な理念が人類に必要であることを宣言されているのと同じです。
 それは、お金中心の金融グローバリズムではなく、真の愛のグローバリズムを掲げなければ、本当の自由と平等は実現されないということなのです。