2023.01.22 17:00
特別編
映画『パッション』
十字架神学再考のきっかけに
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
今(2004年)、全米で映画「パッション(受難)」が話題を呼んでいます。日本では5月から公開されます。パッションは、イエス・キリストの生涯中、ゲッセマネの祈りから十字架で亡くなられるまでの12時間の出来事を描いたもの。その大部分がイエス様に対する残虐な行為のシーンで描かれています。真の父母様はこの映画をご覧になりましたが、3月28日、梁昌植(ヤン・チャンシク)先生はそれに関連して「(イエス様について詳しく知っておられるために)お父様にとってこの映画を見るのは大変苦痛だったそうです。お父様の主要な教えは『イエス様は死んではならなかった』ということです」と話しています。「キリスト教信仰偉人伝」の作者、岡野献一氏はこの映画を「十字架神学を再考するきっかけに」と語っています。
「悪に耐えた愛と許しの人を伝えたい」
公開前、イタリアのメディアが「ローマ法王が試写を見て『その通りだ』と語った」と報道すると、ユダヤ人社会から、「ユダヤ人の『キリスト殺し』の罪が強調され、反ユダヤ主義を再燃させる」として反発を招いた。
あわてた法王庁は「法王は何らコメントしていない」と否定するという騒ぎ。公開館数は当初予定よりも大幅に拡大した。連日報道は加熱し、公開5日間の興収は「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」を抜いて1位を記録した。
映画の制作者で監督をしたのは、世界的俳優であり、熱心なカトリック信者のメル・ギブソン。彼はハリウッドスターになる一方で、麻薬や酒におぼれ、自殺を考えた時もあったという。しかしそんな時、カトリックの信仰に目覚め、心の傷がいやされたという経験をもっている。この映画はそんな彼の「信仰告白」として制作された。
映画が話題となった理由の一つは、凄惨(せいさん)な暴力シーンが延々と繰り返されること。米国とブラジルでは、心臓まひを起こしショック死した人もいた。
事実、イエスが拷問される時、その肉は裂け、血が飛び散るシーンが生々しく、思わず目を覆いたくなる。しかしそこで私たちが見落としてはならないことがイエスの愛と許しの心情である。激しい苦痛と闘いつつも、決して恨み事を言わず、かえって自分を苦しめる者をも許されるイエスの精神の偉大さ。ギブソンは、「過激な悪に耐え、愛と許しをもたらした人がいることを伝えたかった。人々からどんなに苦しみを受け、侮辱されても、それに耐え抜いた人がいたことを―。映画を見る人にそこをつかんで欲しい」と語っている。
十字架は神ではなくサタンの勝利
もう一つ注目したいことがある。それはサタンの存在。映画では、サタンが最後に自分の勝利を喜ぶ。私はこのことについて、クリスチャンは深く思索することを願っている。
昨年4月18日、米国で十字架を外す運動が始まった。その運動は、真のお父様が2002年5月21日、ワシントン・タイムズ創刊20周年祝賀晩さん会で、「十字架は神の本来の予定ではない。十字架は、神の勝利ではなく、サタンの勝利である」と語ったことを受けたもの。
キリスト教は伝統的に、イエスは十字架に架かって死なれるために降臨されたと教えてきた。その十字架神学を再考するきっかけになることを期待してやまない。
1965年1月、お父様は第1次世界巡回路程の折にご来日された。最初の聖日礼拝で、お父様自ら拝読されたのがマタイ伝27章の十字架の箇所であった。先輩の証言によれば、「イエス様はどういう方でしたか」という質問に対し、お父様はぽろぽろと落涙しつつ、「あの男は、かわいそうな男だよ」と語られたという。神の復帰摂理の真相を知っておられる方の姿であった。
鑑賞するなら、その前にマタイ伝26~27章とルカ伝22~23章、そして、1965年1月31日「イエス様の最期とわれわれの覚悟」、同年10月3日「天宙に立つイエス様」というお父様が礼拝で語られたみ言を精読しておきたい。
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次回は、「ハワイ摂理は再び極東で摂理を結実させる役事」をお届けします。