2023.01.29 17:00
特別編
ハワイ キリスト教宣教
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
ハワイ摂理は再び極東で摂理を結実させる役事
「太平洋の楽園」「太平洋の十字路」と呼ばれるハワイ。アメリカ50州で最後に編入されたハワイは、神の復帰摂理において重要な意味をもっています。また日本からの移民は1868年(明治元年)に始まり、現人口の約25%が日系人(2007年当時)。アメリカで、白人が総人口の半数を割る唯一の州でもあります。そういう意味で、まさにアメリカと極東アジアとを結ぶ懸け橋となっています。
再臨近づき宣教はアジアへ向かう
本来、神の摂理は2000年前、イエスの教えが東回りに伝えられ、東洋の精神文明を一つに束ね、ユダヤ教を基盤にローマを消化して完結されるべきでした。しかしユダヤ教の不信で失敗。神の摂理は恨みの地ユダヤから、西欧に移され、再臨主を迎えるためキリスト教が迫害されながら西回りの道をたどるようになります。こうして摂理的中心はイスラエルからローマ、フランク王国、オランダ、イギリス、アメリカへと西に移動していきます。
アメリカはキリスト教2000年を代表して建国200年(1976年)で世界の指導国となります。その建国精神はメイフラワー号で来たピルグリム・ファーザーズにあります。以降、アメリカは三次の信仰復興運動(1734年、1795年、1870年)を経て大きく復興していきました。
アメリカのプロテスタント諸教派は、第一イスラエル選民と同様、自らを「選ばれた民」と自負。神は自分たちを人類の宗教的導き手として選んだと確信しました。
アメリカの歴史は東部から出発して西部開拓の過程をたどります。版図は西へ西へと向かい、やがて1845年テキサス州、1846年オレゴン州、1848年カリフォルニア州に至り、遂に星条旗が太平洋岸にまで翻るようになるのです。
同時に再臨が近いという終末意識が高揚し、19世紀には異教世界の伝道に意欲をもち、宣教師がアジアに向けて続々と出発しました。サムエル・ミルズ(1783-1818)が創設したアメリカ海外伝道協会理事会(アメリカン・ボード)はハワイ伝道に取り組み始めます。
こうしてアメリカが世界に版図を拡大していく現象を、オサリヴァン(1813-1895)は「神によって与えられた明白な宿命」と表現。ストロング(1847-1916)は「神はアングロ・サクソンをこの大陸に送り込み、世界伝道を行っている。キリスト王国を来たらせるのを早めるか否かはわれわれの手にゆだねられている」と発言。この「明白な宿命」を合言葉に海外伝道に情熱を燃やすのです。
キリスト教、短期間で定着
さて、ハワイの歴史は探検家クックの来島(1778年)によって大きく転換します。当時のハワイは四つの王国に分割されていました。やがて、古きを捨て新しきを取り入れるカメハメハ1世(1737-1819)が登場。
1796年にハワイを統一。キリスト教が伝わる土壌を築きます。
外国貿易船に水夫として雇われた青年オプカイアが1809年に渡米。熱心なクリスチャンとなり、ハワイ宣教の夢を抱くようになります。彼は9年後、若くして亡くなりますが、彼の情熱が宣教師派遣につながるのです。
ハイラム・ビンガム(1789-1869)が率いる宣教師団が1820年にハワイに来島。彼らはハワイ復興を願い、まず教育事業に取り組みます。語る言語が文字化されていないハワイ語を表記できるよう整備し、聖書を翻訳。白檀(びゃくだん)を西洋に紹介し貿易業を行い、宣教事業を確立。短期間でキリスト教が定着して、1897年に宣教開拓地リストからハワイの名が消える勢いでした。
外国伝道事業が活発化した1898年、アメリカとスペインの戦争が勃発。
アメリカ教会は当時のスペインの残酷な独裁支配に嫌悪感をもち、「この戦争は神の国到来である」と宣言。アメリカ諸教会は神に祈り、わずか数か月後に勝利。アメリカ艦隊は一気にフィリピンにまで至るのです。
戦争後、ハワイ、フィリピンを領有し、太平洋に星条旗が翻るようになると、海外宣教の情熱がさらに燃え盛り、その情熱は1917年にピークを迎えます。
そして1920年に真のお父様の誕生。摂理はハワイを経由してアジアへ向かい、共産圏を消化して完結すべきでした。しかし韓国キリスト教の不信で失敗。ハワイ摂理は父母様の34年間の米国の歩みを条件に、再び極東で神の摂理を結実させる役事だと言えます。
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「キリスト教信仰偉人伝」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。