2023.01.15 17:00
第5部 近世に活躍した宗教人
⑫パウル・ティリッヒ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
対立する宗教に和合を
キリスト教と諸宗教との対話を試み、宗教と文化の関連性について論じたパウル・ティリッヒ(1886-1965)。彼の著した『組織神学』は、バルトの『教会教義学』と共に、20世紀キリスト教神学の金字塔と言われます。
ヒトラー政権に追われ、米国に亡命
彼は1960年に来日し、仏教や神道の人々との対話や出会いを体験して『キリスト教と世界諸宗教の出会い』を出版。対立する宗教観の和合を求めた神学者でした。
さて、ティリッヒはベルリン近郊で、ルター派の牧師の息子として生まれます。父はギリシャ思想とキリスト教思想の交流に興味を持っており、ティリッヒは幼少時から父と哲学の問題で議論するのを楽しみとしました。
彼が神学者の中で、哲学の造詣(ぞうけい)の深さにおいて右に出る者がいないといわれた素地は、こうして養われたのです。
第一次世界大戦の際、彼はドイツ陸軍の従軍牧師に任命され、激戦の地に派遣されます。彼は社会問題に深い関心を持つこととなり、戦後、神学教授として宗教的社会主義運動にかかわりました。その活動のためにヒトラー政権下で追われ、1933年、米国に亡命。ニューヨークのユニオン神学校の教授になります。
47歳にして、新しい国で、新しい言語を使い、新しい生活を始めますが、彼は数年後には、米国における最も偉大な神学者の一人として知られるようになります。その後、ハーバード大学教授、シカゴ大学教授を経ていく中で、彼は『組織神学』を出版します。
彼の思想の特徴は「相関関係の原理」と呼ばれ、対立すると思われる歴史の中で現れた二つの異なった概念・思想を、「統合」させようと試みるところにあります。
ティリッヒは、人間のあらゆる思考は、結局のところ、「他律」「自律」「神律」の三つの内の一つか、その内の幾つかの表現にすぎないと結論づけます。
晩年に来日、諸宗教と対話
「他律」とは、外から自分に対して与えられた法のことで、その法の強要によって人間は拘束され、それが重荷となります。例えば、ある宗教が独善的に振る舞えば、他律となります。他律に屈従させれば、やがて人は謀反(むほん)を起こし、「自律」の名の下で逆らうようになります。自律においては、自ら法を設定し、理性に従って行動します。そして、やがて他律と自律を共に拒否し「神律」へと至ります。神律とは、神が定めた最高規範であり、それは人間の内側にある内なる法であるというのです。
ティリッヒは「他律」「自律」「神律」によって歴史を解釈します。中世初期および宗教改革の初期は「神律」の時代で、人々は世界に親近感を持つ、統一と調和の時代です。しかし、神律が権威を失い、価値観が崩れれば他律の時代が訪れ、思想は検閲され、罰則が権威の座に着きます。それが中世後期および宗教改革の後期です。その他律の反動として「自律」の時代が到来します。個人の自由と尊厳を守ろうと、他律に対して戦いを挑みます。しかし、自律の時代には共通の価値観がなく、人々は個人主義によって分裂します。この自律時代の次に、新しい神律の時代が到来すると考え、そして、現代こそが終末であるとティリッヒは確信します。
彼は、宗教とは人間が生の意味を問うこととし、霊の臨在によってそれが成されるとします。そして、宗教のない歴史は人間の歴史とはいえず、宗教と文化は密接に関わっているというのです。彼は神律時代の到来に際し、調和と統一を求め、諸宗教間の対話が重要と見ます。
彼は、晩年に来日して諸宗教と対話し、「キリスト教と仏教の両者の体系的位置を正確に規定することが必要である。この試みは比較宗教学の中で最も困難な試みであるが、成功すれば、外観上は理解できないような宗教史のジャングル地帯を理解する基礎となる」と発言します。彼は、東洋の諸宗教との出会いが晩年になったことを後悔します。そして、神律時代の到来に際して、比較宗教を推進するよう、後世の人々に願いを託しました。
現代はイエスの時代と同じく、メシヤを迎えるために新宗教が興り、心霊が高まってきました。人類一家族世界を目指す神様の復帰摂理のために、ティリッヒは神に召命された先駆者であったと言えます。
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次回は、「映画『パッション』十字架神学再考のきっかけに」をお届けします。