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第5部 近世に活躍した宗教人
⑪ディートリッヒ・ボンヘッファー

(光言社『KMSネットニュース』特別号[2007831日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

キリストに服従、ナチスに徹底抗戦

 第2次世界大戦中、ドイツに台頭したナチスに抵抗し、ヒトラー暗殺計画にかかわったボンヘッファー(19061945)。彼はナチスによって投獄され、ヒトラーが自殺する3週間前の194549日に処刑されました。ナチスと戦って処刑された彼の生き様は、20世紀のキリスト教界に大きな衝撃と波紋を投げかけました。

▲ベルリン国立図書館にあるボンヘッファー像。手首にロープが巻かれている

ナチスに迎合する教会を批判

 さて、彼は天才的神学者と称され、わずか21歳で神学博士の学位を取得。24歳でベルリン大学私講師として学界にデビューするなど、若くして頭角を現します。彼は、当時のキリスト教に大きな影響を与えたカール・バルトから思想的影響を受けていました。

 当時のドイツ・ルター派教会は、伝統的な「二王国論」に立ち、教会は霊的問題を指導するように神によって立てられているが、政治的問題は世俗の指導者に任されており、故に、たとえヒトラーが何をやっても、それは政治の問題であり、教会が口を差し挟むべき問題ではないという立場を取っていました。

 19331月、ヒトラーが政権を握ると、プロテスタントの大半は、ナチスのイデオロギーを容認し、そのことの故にヒトラーから認知され、いわゆる“御用教会”と成り下がっていました。ボンヘッファーにとって、そのような教会の姿勢は我慢ならないことでした。

 バルトから影響を受けた彼は、聖書のみ言と取り組む中で、信仰的回心を経験しました。彼は、人間側が主体となってみ言と取り組むのではなく、むしろみ言が主体となって、自分に語りかけてくるように取り組んで、キリストと出会わなければならないというのです。

 その中で、彼は「山上の垂訓」(マタイによる福音書5章~7章)をキリストの「語りかけ」として読み、キリストに「服従」して生きることに目覚めたのでした。

 彼は、ナチスの悪をいち早く見抜き、ヒトラーが政権を握ったわずか2日後、ラジオ放送で「指導者は誤導者となり得る」と批判しました。そして数か月後、ヒトラーがユダヤ人に対する迫害を開始した時、これを厳しく批判。反ナチ教会闘争に入っていきました。彼は、バルトらと告白教会を結成。翌19345月、ナチスに迎合するドイツ教会を批判する「バルメン宣言」を発表。キリストにこそ「服従」すべきであると訴えます。

ヒトラー暗殺に失敗

 彼は、著書『服従』において、「安価な恵みは、われわれの教会の宿敵である」と述べ、教会がただ神の恵みによって人が救われるという時、それをいつの間にか安っぽい恵みに変えていると批判します。「安価な恵みは、服従を抜きにした恵み…キリストを抜きにした恵みである」。

 これが教会をむしばみ、内側から教会を崩壊させていく最大の敵になっていると警告しました。

 彼は、ナチスの問題は人類の生死にかかわる問題であり、そのイデオロギーに従うことは世界の破滅を是認することになるというのです。彼のキリストへの服従は、ヒトラーへの徹底抗戦の構えとなっていきました。

 193811月、ドイツで7500軒のユダヤ系商店や191箇所のユダヤ会堂が襲撃され、無数のユダヤ人が逮捕・虐殺されます。この蛮行に、告白教会のメンバーでさえ弱腰になります。しかし彼は、国家が暴虐を働く時、教会のなすべきことは「車にひかれた犠牲者に包帯をしてやるだけでなく、車そのものを停める」ことだというのです。

 こうして、彼は、危険を承知でナチス国防軍情報部に入り、ヒトラーの暗殺計画にかかわるようになるのです。

 彼は、ヒトラーがどんな理想を掲げようと、全体主義の中に神の願いがないことを見抜いていました。

 ところが暗殺計画は失敗。彼は処刑されます。彼の最期の言葉は、「これが最期です。私にとっては生命の始まりです」でした。

 『原理講論』に「ヒトラーはサタン側のイエス型人物」とありますが、2000年前に、イエス様を不信した大罪を清算しない限り、ヒトラーを退けるのは困難だったように感じます。

 罪があれば理想世界の到来はないのです。罪を清算してくださる再臨主の偉大さを、あらためて思うものです。

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 次回は、「パウル・ティリッヒ」をお届けします。