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進化論から新創造論へ 17

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

現代進化論(ネオダーウィニズム)は間違っている

(8)漸進主義への疑問
-新しい種は突然に現れる-

 ダーウィンの進化論は、微小の変異が積み重なることによって新種の形成に至るという漸進主義(グラジュアリズム gradualism)の上に立っています。つまり生物はなだらかに、ゆっくりと進化するというのです。

 しかし最近では、そのような進化の漸進性が疑問とされています。1972年、アメリカの古生物学者のエルドリッジ(N. Eldredge)とグールドは「断続平衡説」(punctuated equilibrium)を発表しました。種は通常、何も変化しない長い平衡期を経た後、突如として、その平衡を断つような形で変化するというのです。彼らがそのような結論に達したのは、化石生物の歴史が漸進主義と全く相容れなかったからでした。グールドは漸進主義を否定する化石生物の特徴について次の二点をあげています。

 第一は、静止ということ。生物の大多数の種はその地球上での生存期間のあいだ、方向性をもつ変化を示さない。そのような種は、化石記録に現われたときも消えていくときもまったく同じであるように見える。形態上の変化はふつうかぎられており、しかも無方向である。

 第二には、突然現われること。どんな地方でも、ある生物の種は、その祖先が少しずつ変形することにより徐々に現われてくるのではなく、一挙に、「完全にできあがった」状態で出現する(*32)。

 「断続平衡説」の説明は次のようです。進化は主として、地形上や気候上の障害のために隔離された周辺部の小さな集団において起こります。ところが周辺部での生物の進化は急速に進むので、中間段階の生物が化石として見いだされるのはまれであり、一般的に化石の記録に残るのは進化しにくい中心部の個体群のみです。

 したがって化石の記録は静止的となります。そして一定の期間が経過した後、周辺部から進化した子孫が中心部に移動して繁殖すると、その結果、新しい種の化石が突然現れるようになるというのです。

 新種が形成されるためには、新しい形質を持つ集団が隔離されなければならないという説はワグナー(M. F. Wagner, 191387)によって唱えられたものですが、マイヤーはそれを発展させて周辺部の隔離集団での種分化の仕組みを考案しました。中心部の個体群は安定しており、均質化しようとする大きな力を持っているから、かりに個体にとって有利な新しい突然変異が起こってもその影響は消されてしまいます。すなわち交雑によって新しい形質がうすめられてしまいます。ところが周辺部の地理的に隔離された少数の集団では、自然選択が効果的に働いて、偶然に現れた形質が保存される機会が大きいのです。そのため周辺部の小さな集団は、中心部の集団とは違ったものになりやすいというのです。

 ダーウィニズムと断続平衡説の特徴を比較すれば図14のようになります。

 以上のように、ネオダーウィニズムには多くの問題点が指摘されています。にもかかわらず、ダーウィニズムは依然として生き続けているのです。ヒッチングは『キリンの首』の中で、ダーウィニズムがもはや袋小路のような状態にあることを説明しましたが、最後に、次のように言明しました。「けれども、このような混乱がダーウィニズムの断末魔を表わしているのかというと、そんなことはない。この怪物の生命力を甘く見てはいけない(*33)」。

 ダーウィニズムが生き続けるのは、それに代わる創造論を人々が受け入れることができないからです。例えば、サー・アーサー・キースは次のように言っています。「進化は証明されていないし、証明できない。私たちがこれを信じるのは、唯一の代案が特殊創造だからである。この方はまったく考えられない(*34)」。ロンドン大学のDMS・ワトソン教授も「進化それ自体は動物学者に受け入れられているが、進化の発生を観察したとか、論理的に首尾一貫した証拠によってその正当性を立証できたとかいうことではなく、唯一の代案である特殊創造が明らかに信じ難いからなのである(*35)」と言っています。

 キリスト教根本主義(ファンダメンタリズム)の創造論によれば、“6千年前に、6日間で創造が行われた。創造はまさに瞬間的であった。そして人間アダム・エバは「土のちり」から、瞬間的に、ヘそのない大人として造られた”のです(*36)。

 このような創造論は科学の発達した今日では、一般の人々には受け入れ難いものですが、それは聖書を文字どおりに解釈しようとするところからきています。聖書は真理を直接的に完全に表現したものではなく、真理を教示する一つの教科書なのです。ゆえに聖書は書かれた当時の人々が理解できるような表現でもって表されているのです。そこで、高度な科学的知識を持っている今日の人々には、それにふさわしい表現によって解釈する必要があります。そのような立場から、文鮮明先生によって提唱された統一思想に基づいた新しい創造論を次章で展開することにします。


*32 グールド『パンダの親指』下巻、1213頁。
*33 ヒッチング『キリンの首』328頁。
*34 W. A. Criswell, Did Man Just Happen? , Moody Press Chicago, 1980.
 佐藤是伸訳『人間の起源』いのちのことば社、1982年、78頁より引用。
*35 同書、7879頁より引用。
*36 John C. Whitcomb, Jr., The Early Earth, Baker Book House, Michigan, 1972.
 佐藤是信訳『地球の誕生』聖書図書刊行会、1979年、2142頁。

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 次回は、「統一思想による新しい創造論」をお届けします。


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