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勝共思想入門 21

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第五章 歴史の見方

三 人間不在の歴史観

 このように歴史を、物質中心による経済の運動法則によってとらえられるとする考え方は、物質的な環境からくる刺激によって行動し生活する動物と同じものとして人間を理解している感性的人間観、動物的人間観からきているといえます。真の人間らしい人間が唯物史観の中には見いだせないのです。

 表面的には、貧困の中に苦しむ人々の解放をスローガンとし、人間らしい人間の実現を目指し、人類愛に根ざした思想のごとくに思われるのですが、その本質は、個々の人間の自由意思を無視し、またそれゆえに、その人の個性と人格を無視する考え方に陥っている矛盾した思想であるといわねばなりません。

 エンゲルスは、次のように述べました。
 「これら二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、マルクスのおかげでわれわれに与えられたものである。これらの発見によって社会主義は科学になった」(マルクス・エンゲルス全集第19巻より)。正に、科学万能主義の立場、科学主義の立場なのです。

 科学的であるということと、「科学主義」の立場とは根本的に違っています。科学的であるということは、現実の経験できる事実の因果関係、法則を重視しながら事実を分析していく立場です。ですから、例えば人間の自由などの問題にまで因果関係を持ち込めないという限界におのずから気づいている立場をいいます。しかし、マルクス主義のとっている「科学主義の立場」は、単に科学を盲信する独断的な立場をいうのです。科学的認識は現象の因果関係を探求するものです。そして自然科学はこれによって大きな成功を収めました。ここからマルクスは拡大してすべての現象は因果的に解明され得るものであり、またされねばならないという科学主義的な考え方を生み出したといえるでしょう。

 マルクス主義の、人間不在の独断論といわれるゆえんは、一つ一つの事実を大切にする科学的な立場ではありません。強引な科学主義にもその一つの原因があるのです。

四 唯物史観の典型例はない

 唯物史観が、革命を目指した独断であると言われる理由を述べてみます。

 マルクスは、歴史を五つの型、原始共産制の社会、古代奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会・共産主義社会に分け、それぞれの社会の中で生産力が十分発展し、それに伴って被支配階級の支配階級に対する闘争と革命によって歴史は進展してきたし、今後もそうであるといいました。しかし、話の筋としてはすっきりしていても事実がないのです。

 まず、多くのマルクス以後の歴史家により、原始共産社会の存在が否定されたこと、また、古代奴隷制社会のとらえ方も、エンゲルスは事実を甚だしく誤認していたこと、ギリシャ・ローマにおける一部の現象を全世界の傾向として結びつけるには無理があることなど、数え上げれば切りがないのです。

 また、今日あるソ連をはじめとする社会主義の国々も、最高度に発達した資本主義国から革命によって共産主義国家になったのではありません。

 実証できないものは科学的真理ではないのです。科学的社会主義者なら素直に認めるべきでしょう。

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 次回は、「国家について」をお届けします。

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