シリーズ・「宗教」を読み解く 249
キリスト教と日本㉘
新井白石とシドッティ神父

ナビゲーター:石丸 志信

 1709年の暮れ、切支丹屋敷に収監されたシドッティ神父の尋問が始まった。将軍家宣の命を受けた新井白石がその任に当たった。
 彼は当代の碩学(せきがく)で旗本として政治改革にも尽くした人物。四半世紀ぶりに突然現れたキリスト教宣教師の尋問に当たり、参考資料として3冊の書物に目を通した。

▲新井白石(ウィキペディアより)

 それは、かつての切支丹屋敷の住人岡本三右衛門ことジョゼフ・キアラ神父が、晩年幕府の命により書いたキリスト教に関する書物で、西欧の地理、歴史、政治制度も含まれていた。ただし、キリスト教の誤りを記すよう命じた幕府の意に反した内容だったので世の目に触れないよう保管されていた。

 新井白石は、この書物を通して西欧とキリスト教に関する大要を把握した上でシドッティ神父と対面した。
 シドッティ神父の所持品を検分した後に、神父の姓名と故郷のことなどを問い、世界地図を示して西欧の地理についても質問した。
 イタリア語、日本語、オランダ語、ラテン語などを交えた手探りの尋問だったが、彼はシドッティ神父が語る西欧の知識に好奇心をかき立てられた。

 その後、2回の対面では、西欧の地理、歴史、政治などについて質問を重ねた。
 新井白石は後に、ここで得た新しい知識を『西洋紀聞』に記し遺(のこ)した。
 4回目に、初めて日本潜入目的とキリスト教の教えについて尋ねたが、彼はシドッティ神父が語るキリスト教の教えには全く理解を示さなかった。

 最終尋問の後、シドッティ神父の処遇に関する三つの解決策を記した口上書を将軍に提出した。
 彼の示した解決策は、上策「本国送還」、中策「拘禁継続」、下策「処刑」の三つ。その中で、上策が最も易しいとした。
 しかし、幕府の決定は中策を選び、シドッティ神父は、そのまま切支丹屋敷に幽閉されることになった。殉教を覚悟して入国したシドッティ神父にとって最も受け入れ難い処遇となった。ただ、かつてのように拷問を伴う説得によって棄教を迫られることはなかった。



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