https://www.kogensha.jp

神の沈黙と救い 8

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。
 25年以上も前に書かれた本ですが、読者の皆さんにとって、必ずや学びと気付きを得られる一冊になることでしょう。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

第二章 神の沈黙を考える四つの立場
二 理神論

 さて、神の「沈黙」のもう一つの説明は、全知全能だが感情をもたない神が存在し、そのため人間の苦悩や悪がはびこることに対して心が痛むということがなく、したがって無反応、無行動であり、それが沈黙として見えるというものである。

 この類型にちょうど当てはまるのが、178世紀の啓蒙思想のころ、神を世界と世界の運動法則の創造者として認めるが、聖書が説くような世界を支配する人格的存在とは考えない新しいものの見方として生じた理神論である。

 それは、世界は創造された後では自然法則に従って運動し、神はそれに対して干渉をせず、干渉を必要ともしないととらえ、啓示や奇跡を否定してきた。先に述べたニュートンなどがその典型的なもので、自然科学者に多くの支持者がいた(ニュートンは晩年には聖書の世界に戻り、ヨハネ黙示録などを研究したが)。これはちょうど、時計を作ってぜんまいを巻いた後は舞台から引っ込んでしまう職人のようなものなので、「時計仕掛けの神」と呼ばれた。

 その理神論は現代においては、やはり先に述べたブランドン・カーターの主張などから「人間原理」として復活した。

宇宙は人間のために造られた

 先に述べたように、重力定数、核力、電磁力、初期の宇宙の膨張速度、宇宙が三次元であること、太陽から地球までの距離、地球の大気組成の酸素濃度などがほんのわずか狂っても、人間のような生物が発生することは不可能である。

 これらのことを根拠として、1975年、ブランドン・カーターは、「宇宙は人間が生じるような構造に造られている」――もっと端的にいえば、「宇宙は人間のために造られている」という大胆な主張をした。その先駆としてすでに1961年に、米国プリンストン大学のロバート・ディッケは、「宇宙には、人間のような知的生命体を生み出す必然性がある」と、人間を宇宙の基準と見る新しいものの見方を打ち出していて、これを「人間原理」という。カーターはこの概念を足場にして、自説を「強い人間原理」と呼んだ。

 これは、聖書の創世記の世界観と非常によく一致する。

 創世記は、宇宙創造の最後に人間を置き、「こうして天と地と、その万象とが完成した」(二・1)と述べている。また、「神は自分のかたちに人を創造された」(一・27)として、このような至高の性質を与えた人間に、「海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(一・28)と祝福されたとしている。

 すなわち、人間は「神のかたち」として、神とそっくりに(神にかたどって)造られている。それゆえ、人間は天地万象を治め従わせるべき存在であり、天地万象は神と等しい人間の喜びのために創造されたというのが聖書の思想である。この思想とカーターの「強い人間原理」(宇宙は人間のために造られた)とはぴったり調和するのである。英米はキリスト教国であるから、おそらくこの原理の発想の土台には聖書の思想があると思われる。しかし、単にこのことを観念的に唱えたのではなく、それに確固とした実証的裏付けがあるというのがこの主張の強みである。

 これは、大宇宙の創造主が存在するが、宇宙創造後は宇宙の運動に全く干渉しないという理神論の現代版だといってよかろう。178世紀の啓蒙思想時代の時計仕掛けの神は、最初の第一撃を加える前に天体をどのように組み合わせたかを説明することが困難であったが、この「強い人間原理」はビッグバン仮説を前提とするものなので、虚空の無限小の一点から出発することができ、その心配もない。また、現代の宇宙物理学や宇宙論とも全くマッチするものとなっている。

 これに対して「人間原理はとても科学とはいえない」という批判も少なくないが、反面、ジョン・ウィーラー、フレッド・ホイル、スティーブン・ホーキングのような超一流の科学者たちが人間原理を支持している。ホーキングは宇宙の膨脹速度について、「現在ある宇宙を生み出すために、宇宙の膨脹速度が(偶然に)ちょうど都合のよい値を取る確率は、ほとんどあり得ないといっていいほど0に近い」と述べている。また、「人間の存在を可能にさせるような物理的条件」が現在の宇宙の姿を決めているという意味のことも述べている。

 この人間原理は暗に、この宇宙の根源にはきわめて強力で精密な目的指向性があることを示唆している。その精密さがどれほどのものかといえば、前にも述べたように、初期の宇宙の膨張速度が10のマイナス60乗だけ速くても、また10のマイナス60乗だけ遅くても、星や銀河のある宇宙はできない。その意味で、「私たちの宇宙が存在していること自体が奇跡である」(ホーキング)と言われるほどのものなのだ。これはまさしく神わざで、それほど精密な合目的的設計と初期条件を設定できるものは、「神」としか名付けようがないのではなかろうか?

 それゆえ、この「強い人間原理」は、少なくとも宇宙が全く無目的の偶然性によって支配されているという、虚無的な無神論を強く否定するものだといえる。

---

 次回は、「情的存在を説明できない理神論」をお届けします。