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神の沈黙と救い 7

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。
 25年以上も前に書かれた本ですが、読者の皆さんにとって、必ずや学びと気付きを得られる一冊になることでしょう。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

第二章 神の沈黙を考える四つの立場
一 無神論

無神論を否定する現代科学

 しかしこのような無神論は自明の理ではなく、それを主張することが知性の証明となるものではない。実際、過去も現在も、卓越した科学者は暗に、あるいは公然と神の実在性を主張してきた。

 例えばニュートンには、腕利きの職人に太陽系の模型を作らせたという話がある。それは歯車とベルトの働きで、各惑星が動く仕掛けになっている精巧なものであったという。

 ある日、無神論である科学者の友人がやってきて、この模型を動かしてみて、「これは素晴らしい。一体だれがこれを作ったんだ」とニュートンに尋ねた。

 ニュートンはこの友人の世界観を正してやろうと思って、わざとこう答えたという。

 「作者はいない。いろいろなものが集まって、たまたまそういう形になったんだ」

 「人をばかにしないでくれ。そんな話が信じられるか。だれかが作ったに決まっている」

 「そう思うのか? これは途方もなく大きく美しい宇宙のごくお粗末な模型にすぎない。実際の太陽系には歯車もベルトも使われていない。この模型が設計者も製作者もなく、ひとりでにできたといっても君は信じない。それなのに、この仕掛けの手本となった本物の太陽系が、設計者も製作者もなしにひとりでにできたというのか」

 この逸話は、無神論の根拠の貧弱さを物語るものだといえる。

 この事情は、科学の進歩によって逆転するどころか、ますます有神論のほうに有利に傾いている。それは、宇宙を構成しているさまざまな物理定数が、ほんのわずか狂っても、今我々が見ているような百数十億光年という壮大な、精巧な宇宙を造り出すことができないからだ。特に人間のような高度な存在を生み出すことは不可能だということが明らかになってきているからである。

 例えば、ケンブリッジ大学のブランドン・カーター教授は次のように指摘している。

①もし重力定数が現在より

◆数パーセント大きかったら――
・すべての星は短期間で燃え尽きている。
・惑星上で生命が進化するのに必要な時間がない。

◆数パーセント小さかったら――
・宇宙には暗い星しかなかった。
・生命に必要な熱や光が得られない。

②もし原子核の中で陽子や中性子を結び付ける強い力(核力)が

◆数パーセント大きかったら――
・宇宙には水素原子がほとんど存在しなかった。
・生命に必要な水もなかった。

◆数パーセント小さかったら――
・宇宙には水素原子しかなかった。

③もし電磁力が現在より

◆わずかに強かったら――
・原子や分子を結び付ける力が強くなりすぎ、適度の化学反応が起こらない。

◆わずかに弱かったら――
・原子や分子を結び付ける力が弱くなりすぎ、やはり適度な化学反応が起こらない。

④もし初期の宇宙の膨脹速度が10のマイナス60乗(1兆分の11兆分の11兆分の11兆分の11兆分の1)だけ

◆速かったら――
・膨脹の勢いで物質は集まることができず、星や銀河は生まれることができなかった。

◆遅かったら――
・宇宙は誕生して間もなく収縮に転じ、つぶれていただろう。

⑤もし宇宙空間が

2次元だったら――
・複雑な構造をもつ生物は絶対に生まれない。

4次元以上だったら――
・太陽を回る惑星の軌道は安定しなくなる。
・それ以前に、すべての原子は安定して存在することができない。

⑥もし太陽から地球までの距離が

◆現在の95パーセント以下だったら――
・地球は灼熱(しゃくねつ)の星となり、生物は発生できない。
・水はすべて水蒸気になり、海は干上がってしまっている。

◆現在の150パーセント以上だったら――
・地球は凍てついた極寒の星となり、やはり生物は発生できない。
・海はすべて氷でおおわれてしまう。

⑦もし地球の大気組成の酸素濃度が現在の値(約21パーセント)より

◆数パーセント多かったら――
・火事の発生率が数十倍になる。
・それ以前に、人類は危険すぎて火を扱うに至り得なかった。

◆数パーセント少なかったら――
・物がよく燃えない。
・火力は文明を支えるほどの有効なエネルギーにはなり得なかった。

(『世界思想』〈VOC出版〉19958月号より)

 これらのことから、大宇宙が生じ、その中の地球上で生命が生じ、特にそこから「神のかたち」といわれるほどの高度の存在――人間が生まれるまでの経過は奇跡につぐ奇跡であり、とても「偶然」(無目的)ということで片付けられてしまうようなあいまいなものではない。ごくわずかな誤差も許さないほどの精密さで設計され、製作され、運行され続けてきた結果であることを知るのである。

 特に、ビッグバンによる初期の宇宙の膨脹速度が10のマイナス60乗だけ速かったら星はできない、10のマイナス60乗だけ遅かったら宇宙はつぶれているというシミュレーションはすごい。また、太陽から地球までの距離が現在の95パーセント以下だったら灼熱(しゃくねつ)の星となる、150パーセント以上だったら極寒の星となるという指摘も驚くべきものだ。それは、偶然に地球ができ、その地球上に偶然に生命が生まれ、またそこから偶然に人間が……といったものでは到底ないことを悟らせる。

 これらの事実はどうしても、たくさんの仕掛けの相互関係を一目で見通し、またその結末まで瞬時に読み切れるような全知全能の設計者、創造者を仮定しなければ、説明できないのではなかろうか?

 以上のことから、神が存在しないと考えること――無神論はむしろ不合理で、少なくとも「全知全能」の無形の神が存在すると見なければならない。この見方がほかならぬ、次に述べる理神論である。

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 次回は、「宇宙は人間のために造られた」をお届けします。