2023.01.05 22:00
勝共思想入門 19
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)
光言社・刊
第五章 歴史の見方
歴史の見方について述べてみます。歴史観といわれる内容です。
さて、だれでも人生を真剣に考え、永遠に一度しかないこの時間を最も価値ある生き方をしようとすれば、当然、歴史について考えるようになると思います。そのテーマは、歴史はいったいどこに向かっているのだろう、そこに何か法則はあるのだろうか、歴史の目的とは何だろうなどのことについてです。
一 唯物史観の概要
まず、歴史は何によって動かされ、発展していくのか、何が歴史の発展の原動力なのかということについて、唯物史観は、それを「生産力」とします。その社会のもつ生産能力ということです。そしてその生産力は不断に発展をし続けるのですが、その発展は、人間の意志から独立した、一定の生産と生産手段(機械、原料など)を中心とした人間関係である、生産関係をつくり出すようになるというのです。
さらに、一定の「生産関係」の中で生産力がどんどん大きくなっていくと、生産関係は一度結ばれると維持し続けようとする力が常に働くため、ついに生産力に対して桎梏(しっこく/手かせ、足かせのような刑の道具)となってしまうというのです。ここから革命の時代が始まり、必然的に生産力が、生産関係を壊し、新しい生産関係を生み出すようになるというのです。
分かりやすくするために、例えていえばこうです。
生産力を成長していく赤ちゃんとして見ます。そしてその子供に着せてあげる衣服を生産関係と考えてみてください。さて、子供がまだ小さい時には小さな衣服で十分です。しかし、子供がどんどん大きくなっていきますと、いずれ、その衣服は小さくて着られなくなってしまいます。遊んだりしている間にきっと破れてしまうことになり、新しいもっと大きな衣服を作ってあげ、着せてあげなければならなくなります。これは、必然的なことであって、どうすることもできない法則のごときものです。人間が止めることはできません。
ここで、生産関係を維持し続けようとする人々は支配階級に属する人々であり、それを壊そうとする人々は、生産力の担い手である被支配階級であるゆえに、この変革は、支配階級と被支配階級との階級闘争によってもたらされ、それゆえに、人類歴史は階級闘争の歴史であったというのです。
このようにして歴史は、生産力と生産関係にかかわる一連の法則によって発展してきたというのです。そしてその発展の仕方は段階的であり、原始共産社会、古代奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義・共産主義社会という形式で進むとします。ここで、原始共産社会は無階級社会であったが、私有財産の発生、分業の発生によって、持てる者と持たざる者という支配・被支配の階級が生まれ、今日までの歴史は階級社会として発展してきたというのです。そして人類歴史は、社会主義・共産主義社会という無階級社会、「自由の王国」へと必然的に流れ込むと主張しています。
そして重要なことは、これらの一連の変化がすべて、人間の意志から独立しているところの物質的な経済運動法則によってなされるとしている点です。
結局、唯物史観は、人類歴史において社会主義・共産主義の出現は必然的であって人間の意志で変化させることはできない絶対的なことなのだというのです。
ここで、もう一点、唯物史観の理解とその批判において重要なことを、マルクスの言葉から拾ってみます。
「一つの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地をもち、この生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内でふ化されてしまうまでは、けっして古いものにとって代わることはない」(マルクス・エンゲルス全集13巻より)。
唯物史観の主張によれば、一定の生産関係(経済の仕組)の中で、生産力が十分に発達しきってからでないと、新しい生産関係に代わることはない、革命は起きないというのです。ということは、社会主義・共産主義を資本主義より高度な生産関係としているのですから、社会主義の出現は最高度に発達した資本主義国においてなされなければならないということです。生産力と生産関係の対立から歴史の発展を説明しようとすれば当然導き出されてくる結論です。
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次回は、「科学主義の立場」をお届けします。
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