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勝共思想入門 18

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第四章 人間であること

二 感性的人間観としての共産主義

(一)感性的人間観の問題点
 大きな問題点が二つ指摘されます。まず、感性的人間観の立場からは、人間の「自由」が否定されるという結論が生み出されるということ、そしてこのことと関連して、人間の人格の尊厳性を認めようという根拠が全くなくなるということの二つです。

 最初の問題点から説明してみましょう。既に述べたように「自由」ということは「自らに由(よ)る」ということですから、自分自身の内面からのみ、その動機が生まれてこなければ真の自由とはいえないはずです。理性的人間観ではこのことはうまく説明することができましたし、自由には当然、責任を伴うといえます。

 しかし、感性的人間観、共産主義の人間観では人間の意識が感性的条件、マルクスの主張するところでは社会の経済的条件によって規定されるというのですから、それを徹底させれば、人間の意識には、厳密にいえば「自らに由る」内容というものはないということになります。マルクスが、歴史の発展、社会の発展は人間の意識から独立しているというのはこのことを裏づけるものです。こうして、人間の自由は否定されるのです。

 第二の問題点は、人間の尊厳性の問題ですが、感性的人間観、共産主義の人間観では人間と他の動物の本質的区別は何もなくなり、理性といえども感性的条件によってつくられたものであるとしています。そこには、人間と動物のあいだは、常に程度の差のみであるというのです。人間の人格の尊厳性の根拠をどこにも見いだすことができないのです。

 人間に危害を加えようとする動物は、たとえそれがペットとして飼っていたものであったとしても、殺さざるを得ません。そうしても特別良心の苛責を感じる必要はないのです。

 同様に社会主義、共産主義に対する人々を反動分子としてレッテルを貼り、大量虐殺をする共産主義者の心理は、このような思想によって正当化されているので、麻庫(まひ)してしまっているといえます。

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 次回は、「唯物史観の概要」をお届けします。

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