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勝共思想入門 17

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第四章 人間であること

二 感性的人間観としての共産主義

 もっと具体的に、現実に生きている生(なま)の人間をつかみたいという願いが、人間の非理性的な側面へと目を向けさせることになっていきました。その一つが、感覚的な経験によって与えられる事実そのものを重要視しようという考え方です。この立場に立つ人間観を「感性的人間観」と呼んでいます。これは人間の本質は理性ではなく、肉体的、感覚的側面、感性的側面にあるという見方です。感性というものは感受性であり、感じ取る能力ということができます。人間の持つこういった能力があることは従来から認められてはいたのですが、それを軽視、無視し、低劣なものとして扱ってきたのです。感性的人間観はこの感性こそ人間の本質であるとする人間の見方をいうのです。生きているのは肉体をもつ現実的な人間であって、理性的人間というような一般的、抽象的な人間というのはどこにも生きて生活はしていないではないかというのです。

 このような感性的人間観こそ、真の人間のとらえ方であるとした代表的思想家は前述したフォイエルバッハ(Feuerbach 180472)でした。そしてマルクスは、フォイエルバッハに目覚めさせられ、無神論と唯物論の立場を固めたのです。

 さて、感性的人間観においては、理性は人間を他の動物と区別しうる本質として見るのではなく、この能力も感性的条件(肉体的、感覚的な経験からくるもの)によって規定され、さらにはつくり出されたものとしたのです。ここから当然の結論として、結局人間は他の動物とは本質的な区別はないということです。理性的であることによって確かに人間は動物以上のものでしょうが、それもただ程度の問題だけだというのです。すなわち感性的人間観というのは、「動物的人間観」ということであり、それが共産主義の人間観となっているのです。

 さらにダーウィン(Darwin 180982)の発表した進化論はこのような考え方を裏づけたものとして大きな影響を各界に与え、感性的人間観はその立場を固めることとなったのです。

 マルクスは、「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(『経済学批判』序文)と述べ、この立場を主張しています。

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 次回は、「感性的人間観の問題点」をお届けします。

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