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愛の勝利者ヤコブ 15

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

父と子の信仰の勝利①

 ちなみに、アブラハムに神がイサクを燔祭(はんさい)にささげよと言われた地点から、神がその行事を行うべき所と指定された「モリヤの山」とは、どれほど隔たっていたのであろう。

 創世記の記述によれば、神からの命令に先立って、アブラハムはゲラルの王アビメレクと、彼の妻であった絶世の美女サラをめぐり、またアブラハム一族の掘った井戸をアビメレク王の家来たちが奪い取った一件などをめぐってしばしば一悶着(もんちゃく)起こした。そのアビメレク王との間に協定を結んで、井戸のあった地帯をベエルシバ(誓いの井戸)と名づけた。

 それ以後「アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ」(創世記2135)とある。その直後に「これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた」(創世記221)とあるから、神からの命を受けたのはベエルシバにおいてであると思われる。

 それに対して、モリヤはのちのエルサレムの中心部にありソロモン王が「主の宮」(神殿)を築いた所である(歴代志下31)。そこで、地図の上でベエルシバからモリヤの山のあるエルサレムとの間の距離を測ってみると、直線距離で70キロある。

 創世記には、神がイサク献祭を命じられた翌日、「アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た」(創世記2234)とある。

 この記述が正しいとすると、二日ないし三日の間にアブラハム一行は砂漠の中を70キロ踏破したことになる。障害となるものが何もない砂漠のことだから、その行程はほぼ一直線であったかもしれない。しかし、その途中の土地をすでにだれかが領有していて回り道をしなければならなかったという可能性もある。このベエルシバ一帯は、かつてアブラハムのつかえめハガルと、彼女に生ませたイシマエルとが、パンと水の皮袋を与えられて、死ぬ思いでさまよい歩いた所でもある(創世記211416)。ろばに乗ってとはいえ、100歳の老人にとって、それはかなりきつい強行軍であったのではなかろうか。

 これは筆者にとって意外な発見であった。私は先入観でその行程はもっと短いものだと思っていた。というのは、神から全く思いもかけない命令を受けたアブラハムが、そんなにも潔く神の示す山へ向かって出発したとは考えられなかったからである。あるいは、天幕の中でじっと思い悩んでいるよりは、ろばの背中にまたがって遠い道のりを歩んでいるほうが、むしろ気がまぎれたかもしれない。

 それにしても秘密をただ一人自分の胸に秘めて、何も知らないイサクを連れて、はるばる砂漠を行くアブラハムの胸中はいかばかりであったろうか。また夜は天幕を張って休まなければならない。しんしんと更けゆく夜のとばりの中にあって、アブラハムは一体何を考えたことであろう。

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 次回は、「父と子の信仰の勝利②」をお届けします。