2022.12.28 17:00
スマホで立ち読み Vol.21
『み言に学ぶ統一原理【前編】』2
スマホで立ち読み第21弾、『み言に学ぶ統一原理【前編】』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
本書は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が統一原理について語られた内容を『原理講論』と同じ章構成でまとめたみ言集です。
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序にかえて-「原理講義」について
「原理講義」をする人の立場
皆さんの立場は、直接的な立場ではありません。間接的な立場です。ですから、間接的な立場は、いつも直接的な立場を忘れてはいけないということです。その立場をとらなければ、心情の一致点をもたらすことができません。
巡回するときも、自分自身が行くのではありません。自分が行くのではないのです。先生の代わりに行かなければなりません。そして、何かを見るときも、「ああ、神様はどのように思われるだろうか。先生はどのように思われるだろうか」と思えば、その時間がどれほど恩恵の時間になるでしょうか。
このような観点から考えてみるとき、今のように、金某(なにがし)なら金某の立場に立って原理講義をしてはいけないというのです。その原理講義は、み言(ことば)だけを伝えるものではありません。神様を伝え、神様の実体を伝え、神様の実体理想、先生が今まで蕩減(とうげん)復帰してきた歴史的な事実を伝えなければなりません。(157-261、1967.4.10)
講義するところには、再創造の力が投入されなければなりません。再創造の力だけでなく、愛の力も投入されなければなりません。なぜですか。創造の出発は、愛の対象者のための理想の愛を成就させようとしたことです。ですから、自分のすべての知識と性稟(せいひん)的要素ももちろんですが、心情の要素まで愛を中心として投入しなければなりません。それが創造の正常な原則でした。
神様自身もそのようにしました。すべてのものを備えたその方も、必要なものは愛です。愛は永遠不変です。永遠に同居できる配偶者を立てようとするので、のらりくらりしていては駄目です。自ら自分の生命を投入しなければなりません。
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われた、そのような心で投入しなければなりません。神様も同じです。自分の愛の相対を立てるために、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしたのです。神様が、愛の対象である皆さんのために、すべてのものを投入したということです。
そのみ言が私たちだけに該当するみ言ではなく、神様もそのようにしたのです。そのようにしたから、「そのようにしなさい」と指示できるのではないですか。それ以上にしたので、そのように教えてあげることができるのです。できなかったら、どちらも偽者になります。真実の立場、主体性をもった立場で、自分が中心的立場に立ち、そのような実績基盤の上に立ったので、そのような指示をしても、周辺のすべての存在物が反抗せずに順応できるのです。それが天地の法度です。復帰歴史は再創造歴史です。再創造を誰がするのですか。自分たちができますか。神様の立場でするのです。(172-193、1988.1.21)
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次回は、「講義する人の姿勢①」をお届けします。お楽しみに!