2022.12.26 17:00
コラム・週刊Blessed Life 247
宗教の自由は民主主義の核心である!
新海 一朗
英国は16世紀、ヘンリー8世の時にローマカトリックと決別し、自らイングランド国教会(聖公会)の首長となったことで知られています。
しかし、英国における国教会に対抗した非国教会の人々(清教徒=ピューリタン)は、信教の自由を求めて、イギリス帝国の北アメリカ植民地であった13植民地に入植し、その13植民地はアメリカ合衆国として独立します。
彼らは、信教の自由と政教分離(国教の禁止)を憲章として重視し、アメリカ合衆国は政教分離を国制とした史上初の世俗国家となりました。
1775年にアメリカ独立戦争が勃発し、翌1776年1月にフィラデルフィアで発行した『コモン・センス』の中で、トマス・ペインは、独立後の大陸憲章または植民地連合憲章では「何よりも、良心が命じるところの自由な宗教活動」が定められるべきであるとし、信教の自由を主張しました。
独立戦争前のバージニア植民地では、イングランド国教会(聖公会)が公定教会でした。バージニア住民は国教会への礼拝が義務付けられ、十分の一教区税によって教会は維持される一方で、長老派、バプティスト、メノー派などは厳しく規制されていました。
こうした状況に対して、トーマス・ジェファーソンやマディソンらは公定教会制度の廃止を求めています。
1776年7月4日にジェファーソンが起草した独立宣言が出されます。独立宣言の1カ月前の6月12日にバージニア会議でメーソンが起草しマディソンが修正した「バージニア権利章典」が採択され、第16条で自由な信仰の権利が定められました。
「全ての人々は良心の命令に従って自由に宗教を信仰する平等の権利を持つ。これはキリスト教的寛容、愛、慈善を施す全員相互の義務である」(Virginia Declaration of Rights、1776)
ジェファーソンが1779年に起草した第82法案「信教の自由を樹立するための法」(バージニア信教自由法)が1785年にマディソンによって提出されました。
第82法案原案では、政府による個人の思想への権力行使や規制は危険であり、信教の自由を破壊するとされています。1786年1月19日、これをバージニア邦議会で可決しました。
「宗教的な礼拝や場所への集合、または、いかなる聖職者への支持も強要されることはない。宗教上の見解や信仰を理由に、強制され、制限され、妨害され、身体や財産を傷つけられたり、その他の方法で苦しめられたりするべきではない。全ての人には、宗教的事柄への見解を公言したり、話し合いによって支持したりする自由がある」(「宗教的自由のためのバージニア法令」、1786、Thomas Jefferson)
「バージニア信教自由法」は、米国で初めて信教の自由と政教分離を明文化した法律で、米国憲法の基礎となりました。
1791年、権利章典(合衆国憲法修正第1条)では、国教が禁止され、宗教の自由が明記されます。
「合衆国議会は、国教を創設したり、宗教の自由の行使を禁止したりする法律を制定しない。言論や報道の自由を減じたり、市民が平穏に集会したり、また不公平の是正のために政府に請願する権利を制限したりする法律を制定しない」(アメリカ権利章典修正第1条)
こうしてアメリカ合衆国は、政教分離を国制とした史上初の世俗国家となりました。
政教分離が選ばれたのは、異なった宗教的背景を持つ人々によって構成されていたためです。
一方、国教の禁止は、宗教対立を避けるためです。その後、修正第1条の精神が徐々に浸透し、各州における公定教会制度は廃止されていきました。
このような歴史的背景を持つ米国が「宗教の自由」「信教の自由」に立脚し、世界で最も発展した民主主義国家として人類社会に影響を及ぼすようになったのです。
宗教の自由は民主主義の核心です。政府が信教の自由を破壊することなど断じてあってはならないという偉大な憲法を作った米国の精神は、今もその光を失っていません。