2022.12.26 22:00
「性解放理論」を超えて(65)
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
六 フェミニズムを超えて
(三)クィア理論
1990年代に登場したクィア理論は第三波フェミニズムやゲイ・レズビアンスタディーズとして知られます、ジェンダー・セクシュアリティーの哲学的、理論的な研究から派生し、構築された理論であり、その代表的な思想家がアメリカのジュディス・バトラー(Judith Butler)とイヴ・コゾフスキー・セジウッィック(Eve Kosofsky Sedgwick)です。クィアは、あらゆる形態の性の規範化に反対するさいの用語とされ、性規範に関するあらゆる枠組みに疑問を投げかけます。
(1)バトラー
①バトラーの思想
アメリカにおいて、フランス・フェミニズムを批判的に受け入れながら自説を展開したのがバトラーです。
バトラーは哲学上の二元論からくるところの、二元構造に基づく覇権的な文化の言説によってジェンダーの配置が前もって仮定され、決められているとして、二元論、二分法に反対します。彼女によれば、カテゴリーは本質的に不完全なものであって、ジェンダーはパフォーマティヴなものにすぎず、ジェンダー・アイデンティティは錯覚、幻影であり、存在しないのです(※8)。
バトラーは、男性の性に対抗して独立した女性の性を確立することにも異を唱えて、ジェンダーを攪乱(かくらん)しようとしました。バトラーは『ジェンダー・トラブル』の中で次のように述べています。
それゆえ本書は、男の覇権と異性愛権力を支えている自然化され物象化されたジェンダー概念を攪乱し置換する可能性をつうじて思考をすすめ、かなたにユートピア・ヴィジョンをえがく戦略によってではなく、アイデンティティの基盤的な幻想となることでジェンダーを現在の位置にとどめようとする社会構築されたカテゴリーを、まさに流動化させ、攪乱、混乱させ、増殖させることによって、ジェンダー・トラブルを起こしつづけていこうとするものである(※9)。
バトラーによれば、「異性愛制度は構築されたものであり、社会によって制定され規定された幻想(※10)」にしかすぎません。そして、レズビアニズムの戦略はアイデンティティのカテゴリーを完全に奪い取ることであると、次のように述べています。
それよりも狡猾(こうかつ)で効果的な戦略は、アイデンティティのカテゴリーを完全に奪い取り、再配備することであり、それによって単に「セックス」を疑問に付すだけでなく、「アイデンティティ」の場所に多様なセックスの言説が集中している様子を明らかにし、そうして、アイデンティティというカテゴリーが──たとえどのような形態を取るにしても──永遠に問題がらみのものだということを示すことである(※11)。
ジェンダーとは、生物学的な性差であるセックスに対して、文化的に構築された性差として、フェミニストによって使用されるようになった用語ですが、バトラーはジェンダーのみならず、セックスも社会的に構築されたものであると言います。
セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく、「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。実際おそらくセックスは、つねにすでにジェンダーなのだ。そしてその結果として、セックスとジェンダーの区別は、結局、区別などではないということになる(※12)。
サラ・サリー(Sara Salih)はバトラーの主張を次のように述べています。
言語に先行して存在するジェンダー・アイデンティティなどは存在しないということである。言ってみれば、アイデンティティが言説や言語を“おこなう”のではなく、その逆──言語と言説こそがジェンダーを“おこなう”──のである(※13)。
すなわち、セックスもジェンダーも言説の結果であるというのです。これは「はじめに言説ありき」ということです。
バトラーによれば、「主体は……行為によって言説のなかで構築される(※14)」、「言語の外側に“わたし”は存在しない(※15)」のであり、言説の背後に主体を認めません。バトラーはまた、「行為者は行為に付けられた虚構でしかない──行為がすべてである(※16)」、「行為の背後に行為者は存在せず、“おこなうこと”そのものがすべてなのだ(※17)」とも言います。これは行為者なくして、「はじめに行為ありき」ということです。バトラーはさらに、法は文化によって押しつけられるものであり、そのような法によって男性気質や女性気質が生み出されると言います(※18)。
そして、バトラーは、「主体というカテゴリーと規範を揺るがし、法の限界を暴くことによって、法を空洞化させる再意味化の代案を提示(※19)」しようとしたのです。今日、フェミニズム理論やクィア理論へのバトラーの影響は決定的なものとなっています。
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※8 ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(58、257)
※9 同上(73)
※10 同上(224)
※11 同上(226~27)
※12 同上(28~29)
※13 サラ・サリー、竹村和子訳『ジュディス・バトラー』青土社、2005(115)
※14 同上(82)
※15 同上(115)
※16 同上(114)
※17 同上(225)
※18 ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(123~24)
※19 サラ・サリー『ジュディス・バトラー』(238)
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次回は、「クィア理論~②バトラーへの批判と『統一思想』の見解」をお届けします。