2022.12.19 22:00
「性解放理論」を超えて(64)
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
六 フェミニズムを超えて
(二)ポストモダン・フェミニズム
(3)シクスー
ラカンとデリダの影響を受けて、シクスーは男根中心的なエクリチュールを批判して、イリガライ、ウィティグと共に、男根主義的言語を拒否し、女性の欲望の現実を反映できる言語──エクリチュール・フェミニン──をつくることを主張しました(※6)。ソフィア・フォカは次のように述べています。
エクリチュール・フェミニンは……「女性性を書き記したい」という欲望によって動機づけられ、1970年代半ばにフランスから始まった。エクリチュール・フェミニンは、これまで言語をもたなかったもの──家父長制文化によって抑圧されてきた女性性──を書き記す。……シクスーは、男女の二分法のなかの女の位置づけから抜け出す道──脱出──を模索した。シクスーにとって西洋の哲学言説は、二分法の言語的差異の産物として、女を作ってきた。……この二分法構造を不安定化させることによって、男根中心的主体の特権は切り崩される(※7)。
ラカンの影響を色濃く受けていたシクスーは、ラカンがジュイサンス(快楽、jouissance)と呼んだ性的オーガズムから導き出される究極の快楽にちなんで、女性の快楽、フェミニン・ジュイサンス(女の快楽、feminine jouissance)を目指しました。
シクスーはイリガライ、ウィティグと共に、エクリチュール・フェミニンを確立しようとしましたが、それは女性性を強調する一方的な言語です。今日までの文化が男性性中心の言語でつくられていたとしても、それに対抗して女性性中心の言語をつくり、女性性を中心とした文化を築くというのは誤りです。男女の性が調和した言語と文化が築かれるべきなのです。
シクスーも、クリステヴァ、イリガライと同様、女性特有の快楽を目指しました。しかしフェミニン・ジュイサンスは女性だけでは得られません。男女の真(まこと)の愛において、女性の快楽も得られるのです。
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※6 メアリ・エヴァンス、奥田暁子 訳『現代フェミニスト思想入門』明石書店、1998(73)
※7 ソフィア・フォカ、レベッカ・ライト『ポストフェミニズム入門』(52-54)
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次回は、「クィア理論~①バトラーの思想」をお届けします。