2022.12.16 12:00
続・日本統一運動史 44
久保木哲子会長夫人の証し
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 12〜8. 10)
(12)婦人部集会(1967. 7. 5)
1. 御言(7. 5)
7月5日、渋谷区南平台において、真の御父母様を迎え、婦人部集会が開かれました。そこには、当時まだ入教していなかった久保木哲子会長夫人も参加されました。
2. 久保木哲子会長夫人の証し
「1967年7月…会長から私に電話がかかったのです。…『先生が今韓国からおいでになっている。明日、婦人部に対して御言を語られるから、あなたも是非先生のお話を伺うように』と言うのです。…その時、…私は遅れて着いたので、一番後ろに座って先生のお話を伺いました。当時の先生の日本語は、今と違って大変聞き取りにくく、ましてや私は一度も御言を聞いたことがない上に、その御言を語られるのですから、私には何が何だかさっぱりわからずじまいでした。
お話が終わると…『久保木でございます』と普通の挨拶をしました。先生はニコニコ笑いながら『久保木さんかね。…奥さん、この道は、あなたも本当に献身していかなければいけない道なのですよ』。『はい、まいります』。……
しかし、ハッと我に返ると『アー、大変なことを言ってしまった、私には医者から見放されて死ぬかも知れない長男がいる、他に二人の子供と年老いた両親を抱えて、仕事を持っている身である私が、どうしてすべてを犠牲にして統一教会の道を歩むことができようか、とそういう思いがわいてくるのです。
その場を退席してから会長に『先生に何と言われたのだ』と聞かれると、私は『はい』と答えてしまったいきさつを話しました。すると会長はニヤニヤ笑って『そうか、じゃ私も今夜は一緒に帰ろう』というのです。そしてその晩は、会長と共に両親の前ですべてを話すことになりました。
私はその日にあった出来事を両親の前に正直に、包み隠さず話しました。…話しつつも、もう一人の私が自分なりに考えているのです。『おそらく両親は、大反対するに違いない』、そういう思いが心の片隅にあるのです。
話を聞くと、両親は確かにびっくりしてしまって、10分間ぐらいは沈黙で、腕を組んで目をつぶってジーッと考えこんでしまいました。やがて口を開いて出た言葉が『そうか、まあ先生がおっしゃったことは当然じゃないか』と言うのです。『夫婦というものは、どんなに厳しい道であっても、あなたが夫に付いて行って共に苦労しよう、とあなた自身が決意するならば、行くのは当然だよ。先生が言われることは当然じゃないか』。こういう両親の返答に対して、あまりに思いがけないことで、嬉しいやら何やらで私はその場でワーワー泣き出してしまいました。そうして…『子供たちのことは、おじいちゃん、おばあちゃんが何とか面倒をみるから、先生の言われた通りに、あなたは教会に行って夫を助けてやりなさい』と言ってくれたのです。」(1977. 1. 7)
(13)『親泣かせ原理運動』朝日新聞夕刊記事(1967. 7. 7)
1967年7月7日付の朝日新聞に『親泣かせ原理運動』の記事が載って以来、新聞・テレビ等のマスコミによる批判的攻勢が始まりました。7月から9月の3か月に、全国版の新聞に15回、その他地方版・特殊新聞を合わせれば40回取り上げられ、また雑誌には十数回、ラジオ・テレビでは二十数回報道されました。
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次回は、「地方巡回① 名古屋/大阪」をお届けします。