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続・日本統一運動史 43
修練会途中での御言

 真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 128. 10

(11)第二次原理修練会(1967. 7. 37. 6
2. 修練会途中での御言(7. 4
 「過去を中心として、現代だろ、未来だろ。二番目の問題だよ。それで縦的に見れば、真ん中。縦的に見れば、二番目。左右に見れば? 真ん中だよ! だから、二番目がいつも問題。その二番目を問題にして解決した場合には、これがすべての中心に立っているんだから、この中心的で解決した以上は、全体の解決になってくる。だから、蕩減復帰ができると言うんだね。」(抜粋)

▲講義を担当された黄煥寀(ファン・ファンチェ)先生

3. 修練会途中での御言(7. 6
 「東京では原研に属する若者たちがいるだろう。まあ、3年ぐらいしたら、この中で何人残るかな。他のものは皆落ちても自分はもう残るだろうと思うもの手を挙げて。(『はい!』)。本当にそうかな。そうなったら先生気持ちがちょっと悪くない。

 この道を最初に出発した人たちは随分苦労したよ。特に女の人が最初苦労した。これは辛い道である。戦いの道である。そういう道をずっと開拓していかなければならない立場に立っている女としては、これはいろいろな十字架がある。十字架を背負い、険しいいばらの道を越えていかなければならない立場にあった。それで、あるとき、聞いてみた。『いつまで先生について行かれますか?』。すると『死んでも行くのは当然じゃありませんか』。これはもっともな言葉なんだよ。そして、たとえ屍の峠を越えても我は行く者になるという話なんだ。『本当か、それは信じられない』と先生は言うんだね。その時は統一教会じゃないよ。先生につながれる子女たちがいるとしても、その人たちは皆、迫害の真っただ中に立って、いつ落ちてしまうかもしれない。…

 先生が追いに追われて、一番高い山である白頭山の天池のほとりに行って、山に畑を作って門徒を養った。土なしの丹石の上に畑を作って、そこに桃を植えて育てる、そういうような辛い立場の、辛い運命に立ったとき、自分は先生を離れずして忠誠を尽くすと誓った女の人がいたよ。それを誓うだけの信ずべき内容と決心を持った女の人だよ。あるとき、船に乗っていて風が吹き寄せ、いよいよ船は破船状態になって、船頭さんも『これじゃおしまいだ。片付けてしまおう。決心しなさい』という最後の言葉を言う段階に入った。そうすると、間際になって、自分の生命を思い出してしまった。そうしてある大きな船が通りかかったので、その船に救いを願い、その船によって救われていった。先生は一人で破れかけの船を命がけで守らなければならなかった。そういうふうに別れてしまったある女の人。まあ、それを思うとね、君たちの決心というのは、これは生易しいものである。それ以上の決心をするか? その女は、それ以上の決心も流してしまった。そういう事実をこの目でよく見、この耳でよく聞いたよ。数多くの素晴らしい男や女たちが、先生の前を通り過ぎていった。見物するためじゃない。戦いの真っ只中に誰にも負けないような責任を持って働いたこともある。しかし、初めは戦い続けるが、(苦難が)、2回、3回、4回、……100回、千回、万回、10万回、100万回、1000万回になるだろう。それを思うと、気が違いそうになって、『ああ、こういう運命にもともと自分は生まれていなかったのに、統一教会というやっかいなものに引っかかって、こういう因果な結果になるのだろう』、そう思わざるを得ないような立場になってしまうというのが、すべての人間としての現実に即しての考え方じゃないかと思うんだよ。まあ、そのように思うと、君たちもそういう限界に入れば、必ず例外ではないというのが事実であろう。そうじゃない? (『違います』)。何、いくら目を真ん丸く開けて答えてもそれは信じられない。…先生は多くの人に投げ出された。多くの人々に反対されたよ。こんな運命の道を歩いて来た先生こそ、先生自身があんたたちをいかに信ずべきかというんだね。信ずるなら、何でそれを証明するか。何で証明するかって言うんだよ! 証明できないんだよ、何ででも。…

 だから、君たちを100パーセント信じてやろう。信じてやるから、信じられるような結果を天の前に捧げよ。…

 忠孝ということ、これはすべての教え、あるいはすべての宗教の源になる意味の言葉なんだよ。だから、忠孝を尽くせというんだね。日本にもそういう精神があるだろう。日本においてこの思想にみんなが夢中になれば大変素晴らしい民族になると思う。」(抜粋)

4. 修練会最後の御言(7. 6
 1967年76日午後、真の御父様は「晴海見本市」工作機械展に行かれ、その後、南平台において壮年部集会に出席されたあと、本部教会で修練会最後の御言を語られました。

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 次回は、「久保木哲子会長夫人の証し」をお届けします。

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