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創世記第3章[11]
中心人物アダムの喪失

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 神様はアダムに対し「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので…」(創世記3・17節)と断罪し、そして「神は彼をエデンの園から追い出して…」(23節)とあるように、エバだけでなく、アダムまでもが堕落することによって「失楽園」が発生してしまいました。

エデンの園は神殿(メシヤ)を象徴
 さて、24節に「エデンの園の東に」とありますが、月本昭男(つきもと・あきお)氏は、園の東にケルビム(天使)と回る炎の剣とを置いたという点に注目して、次のように解釈しています。

 「エデンの園はその東が入口であったが、この点においても、エルサレム神殿と共通する。というのも、ソロモンが建立したエルサレム神殿は、その東の門がいわば正門であり、本殿もまた東を向いていた」と。

 エデンの園とエルサレム神殿を関連づけたこの月本氏の解釈には、実に興味深いものがあります。

 イエス様は御自身を「神殿である」と語っており(ヨハネ伝21921)、また『原理講論』372ページにも「神殿はイエスの形象的な表示体である」とあるように、神殿とは完成したアダム(メシヤ)を象徴しています。月本氏のいうように、神殿とエデンの園が関連するとするならば、まさに失楽園(楽園の喪失)とは「完成したアダム」の喪失、すなわち統一原理でいう信仰基台の「中心人物」の喪失を意味しています。

 ところで、四位基台の構造から見た場合に、個性完成したアダムとエバは「人類の真の父母」という立場にあります。まず私たちは「人類の真の父母」と「その他の人間」の立場の違いというものを明確に理解しておかなければなりません。その違いを整理すると次のようになります。

人間始祖の蕩減復帰は第2・第3アダムだけに可能
1アダムとエバは人間始祖なので、直接、神様を親に持つ立場であり、その他の人間(真の子女をはじめ全人類)は、血統から見るとその勝利したアダムとエバ(真の父母)を仲保者として間接的に神様につながる立場にある。

2アダムとエバは戒めを守るという責任分担に対して自らの努力で完全勝利することを願われた立場であり、その他の人間はアダムとエバの立てた勝利圏を(いわばノアに対するハムのように)相続していかねばならない立場にある。

3アダムとエバは人間始祖なので、霊的背景は真っ白の状態(=無原罪で生まれた立場)であり、その他の人間は血統的にアダムとエバの“勝利圏”や“失敗”などを受け継ぐ立場(影響圏下)で生まれるので、堕落したアダム・エバの血統を持つ堕落人間の場合には、原罪・遺伝的罪・連帯罪および堕落性本性を持って生まれてくる立場にある。

 以上のことを考察すると、人間始祖アダムとエバが失敗(堕落)するということは、原罪を持った堕落人間が失敗するのとは意味が違っており、「特殊な立場」における失敗であったという事実が分かります。そのアダムとエバの「特殊な立場」での失敗を蕩減(とうげん)復帰して元返すには、原罪を持って生まれた堕落人間では不可能であることを知らなければなりません。それができるのはアダムに取って代われる人物、つまり「堕落前のアダムの立場」「無原罪」(『祝福家庭と理想天国(1)』584585ページ)の立場で生まれてくる第2アダム(イエス)、第3アダム(再臨主)だけであり、その第2、第3のアダムが三天使長(­=堕落圏)に奪われてしまった失楽園前の「堕落していないエバ」(同584585ページ)を取り戻すというパターンを踏まないかぎり、蕩減復帰していくことは不可能なのです。

 故に神様は、失楽園で発生したアダムの罪責を、復帰された型のアダム(信仰基台の中心人物)を立てて「メシヤのための基台」を造成させることで清算させ、その基台の上で人類の真の父となるべきであった中心人物のアダムに取って代わる、第2、第3のアダム(完成したアダム=人間始祖の立場)を地上に遣わすという復帰摂理をされるのです。

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 次回は、「創世記第3章[12]万物に対する主管性の喪失」をお届けします。