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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(81)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

心情を備えてみ言を受ける

 神の復帰摂理は、ただメシヤ一人だけを求めるとするならば、時間はたくさんかからないでしょう。一人だけを救うとするならば、救いの摂理は早く終わるでしょう。

 先生のみ言も、一人だけに恵みを与えるとするならば、たくさんの時間はかからないでしょう。すべての人に恵みを与えたいという心があるから、先生がみ言を語られる時間は、長くなるのだろうと考えます。先生は非常に疲れていても、長く話されるのはどうしてでしょうか。それは、私たちのためです。それも、何人かのためだけではなく、来たすべての人が神の恵みをたくさん受けるようにするためなのです。

 たくさんの子供がいた場合、親が何人かの子供にだけ物をあげて、ほかの子供にあげなかったならば、その子供たちは寂しい思いをするでしょう。ですから全部の子供に与えて、喜んで帰るのを見たくなるのです。私たちはその心が分からないから、「ああ、もう話は早く終わってほしい。もう寝たい」と言うかもしれません。しかし先祖は、「もっともっと聞いてくれ」と願っているということを忘れてはいけないと思います。先生のみ言の価値が分かる霊は、子孫がなぜ聞かないのかと焦るのです。子孫がみ言を聞くように、目を覚まして早く聞くように願うのです。

 皆さん、このように考えてみてください。学校で勉強しているところへ、親が授業参観に来たとしましょう。先生が何人かの子供にだけしか発表させなかったとすれば、親はどう考えるでしょうか。自分の子供にもチャンスを与えて、発表させてくれたらいいのにと考えるのです。時間がオーバーしても、私の子供にチャンスを与えてくれるように願うものです。そのように、先生は常に一人一人にまでも恵みを与えてあげたいという心をもっていらっしゃるので、話も長くなることがあるのです。

 お医者さんが治療していて、手術の時間を5時間と決めたけれども、5時間では治りそうもなくて、もう1時間やれば治るというときは、時間が来たといってやめるでしょうか。1時間延長しても手術してあげるでしょう

か。

 私たちは、先生のみ言が長くなったら、「10時間も話してくださる先生がかわいそうだ。だから先生は話を短くしたらいいのに」と考えますか。そうではなく、「私の体がきついから先生のみ言が入らない、短ければもっと分かるのに、長いから疲れて頭に入らない」。それが私たちの指導している教会員の考えです。それよりも、「先生がこんなに長く話されるのは、私たちが分からないからだろう」と考えるのです。私たちが早く分かったら、先生は短く話すこともできるのです。そうしたら、先生も楽になるだろうと考えなければいけないと思います。

 では、先生のみ言を短くして、先生がみ言をたくさん語ることで苦労させないようにするためには、どうしたらいいのでしょうか。どうしたら先生は、楽になれるのでしょうか。先生が楽になれば、私たちも同時に楽になるのです。そう考えなければいけないと思うのです。それでは、どうしたらよいのでしょうか。それには道があります。

 それは、私たちがメンバーをよく教えて、先生のみ言を聞く前に、私たちのすべてを聖別して、先生のみ言を聞くためにすべての心情を備えるとするならば、先生のみ言は早く終わるようになるでしょう。

 また、器に神の恵みを入れるのだと考えてみます。器の汚いものをきれいにするのは、私たちの仕事です。ところが、私たちが責任分担を果たさないので、先生御自身が私たちの責任分担をも、すべてやってくださるのです。自分できれいにしておいたら、1時間で器にいっぱいになるのです。そうではないから、説教は3時間もかかるのです。

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 次回は、「祈祷が終わってから」をお届けします。


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