2022.11.25 12:00
続・日本統一運動史 41
御言『我らが願うその国へ行かん』
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 12〜8. 10)
(9)聖日礼拝(1967. 7. 2)
1. 御言『我らが願うその国へ行かん』(1967. 7. 2)
「我々は全日本一億の人民を救わんがために立った。日本のこの島国は東洋、アジアの防波堤のような国であり、太平洋の波涛が打ち寄せても、これを防ぎ切るような力強い日本の国家でなければならない。神がアジアの防波堤として立派な港を造ろうとしている。…
特にこの日本におきましては、共産主義、民主主義、帝国主義、いったいどこへ行くか。これなら問題ないという、がんとした防波堤を築いているかというとそうじゃない。世界的台風がまだ吹き荒れていないからこそ幸いである。もしもそれが吹き荒れてきたら問題である。日本は思想的に見れば日本精神なんだ。昔は武士道で、刀一本持ったなら、逆らうものは切ってしまって解決できた。けれど今はそうはいかない。ある思想圏に引き込まれると、現実のその事情を防ぎ得るものがない。共産主義、民主主義、帝国主義、その他、いかなる方法でもって日本精神を発揮させるべきか。こういう危機において必要なものを、民主主義を越えて、共産主義を越えて、帝国主義を越えて求めなければならない。そういうものがあったら、民主主義も共産主義も帝国主義も犠牲にして越えて行くのが正義である。…だから日本を救おうとする統一教会の人たちは、日本を救おうとするのが最後の目的じゃない。目的を成さんがための過程的目的であって、結論的目的じゃない。日本を救ってからは、日本一億人民を、世界の波の中に引き込んで、この太平洋を越えなければならない。だから日本を神が求めている。
今の教育、民主主義の教育方針は、一国の主義を持って教育するんじゃない。世界的に文化交流してあらゆる生活圏内において世界の良いものを取り入れるようになっている。だから世界的にならざるを得ない。…そういう時代にあって、我は日本第一主義といっても、そうはいかない。世界主義的立場に立って、万民共に自分の民族性を超越して、各自の国家圏以上の価値を認めるような国際的主義をもって指導しなければならない。我々統一教会は何を願うか。日本を願うんじゃありません。…日本を前に立たせて世界を救うため、戦うためです。また、神の戦法は、人の腹を日本刀でもって突き通すことではない。首を切ってしまうことではない。涙と汗と血をもって奉仕して、彼らを自分たち以上に繁栄させ、彼らが喜ぶのを見て笑いながら死んでいこう、これが神の心情である。親の行く道である。世界的親国家になろうというんだね。日本国民は、世界万民を自分の子供のように考えて、すべてのかわいそうな国家国民に対して、我々のすべての幸福、すべての文明の恵沢をみんな渡してやる。それで自分たちは、裸になって、それを眺めながら喜んで死んでいこうという国民になったら、この日本を通して世界統一は必ず成る。」(抜粋)
(10)福田信子さん、第2回中華民国開拓伝道出発挨拶(1967. 7. 2)
1967年7月2日、福田信子さんが第2回中華民国開拓伝道の出発(7.5)を前に挨拶をされ、真の御父様も御言を語られました。
「摂理上から見れば、先生はずーっと、台湾に宣教師を遣わすことを、西川さんをここによこす前から計画していたんだよ。日本と中国と韓国、この三つの国がいかに体化するか。これは東洋を生かすか殺すかという重大な問題でありますから、天の摂理上から見ても、我々が見る以上に重要視される立場になります。
宣教師を送るというのは、韓国においては法的保障がないために、韓国から台湾に宣教師を送るとしたならば、いろいろなややこしい問題があります。宗教的関係から見れば、まだ新しく出発したばかりの我々にとってはそういう社会的基盤が立っていないため、どういう方法でもってこの問題を解決するかということを思ってきたわけなんです。……アダムとエバは天使長によって堕落した。これを復帰するにはそういう国家的関係を結ばなきゃならない。…
その国のために、日本人としてその国の国民以上に忠誠を尽くしてその国のために闘うんだね。こういうふうにして神は世界を救うのです。日本において日本国家を救うよりも、世界を救うために犠牲になるほうがかえっていいというんだね。そういう心ある者は、そういう所へ飛んで行くような準備をせよ。」(抜粋)
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次回は、「第二次原理修練会」をお届けします。