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「性解放理論」を超えて(60)

フェミニズムを超えて

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

六 フェミニズムを超えて

 フェミニズムの先駆となったのはフランス革命であり、その代表的人物は革命議会で活躍したコンドルセ(Condorcet)、議会外で活動し『女性および女性市民の権利宣言』を発表したオランプ・ドゥ・グージュ(Olympe de Gouges)、およびフランス革命に影響を受けたイギリスのメアリー・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)でした。彼、彼女たちは、女性としての人権宣言を主張したのです。

 19世紀前半の英米で第一波フェミニズムと呼ばれる女性運動が起きました。慈善運動、教育における男女平等の要求から参政権の要求へと向かいました。さらにアメリカでは奴隷制廃止運動、イギリスでは廃娼(はいしょう)運動が行われました。

 第2波フェミニズムの先駆となったのは、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)の『第二の性』でした。その中で彼女は、「ひとは女に生まれない。女になる」という有名な宣言を行いました。そして1960年代半ばから、第2波フェミニズムは主としてアメリカで展開されました。

 ベティ・フリーダン(Betty Friedan)は女性差別の撤廃とあらゆる分野への女性の参画を目指し、1966年にNOW(全米女性機構)を設立しました。ジュリエット・ミッチェル(Juliet Mitchell)は『女性最も長い革命』を発表し、マルクスの弁証法的唯物論と、フロイトの精神分析を女性解放に活用すべきであると主張しました。シュラミス・ファイアーストーン(Shulamith Firestone)は『性の弁証法』を発表し、「現在の閉鎖的な結婚・家族制度を解体し、一人暮しと共同生活、異性愛と同性愛と多型的倒錯など、任意のライフスタイルを選べるようになるだろう」と、来たるべき社会について語りました。

 1970年以降、第2波フェミニズムに続いて生まれたのが、第3波フェミニズムとみなされるポストフェミニズムです。

 フランスでは1970年に女性解放運動MLFが誕生しましたが、その後、2派に分裂しました。一方はボーヴォワールの後継者たちによる「フェミニスト革命派」(平等主義・普遍主義)であり、クリスティーヌ・デルフィ(Christine Delphy)、モニク・ウィティッグ(Monique Wittig)がその代表でした。この派は、女とは社会的に構築されたものであり、男女2元論の異性愛の枠組みで語られたものと主張し、生物学に基礎を置くジェンダー差異に反対しました。

 他方はプシケポ(差異主義)であり、アントワネット・フーク(Antoinette Fouque)、ジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)、エレーヌ・シクスー(Hélène Cixous)、リュース・イリガライ(Luce Irigaray)などがその代表でした。彼女たちは精神分析、脱構築の理論に依拠し、女性解放の目的は、女性が男性と同じになることではなく、女性、男性という独立したアイデンティティを互いに認めることだと主張しました。この派がポストモダン・フェミニズムです。彼女たちの理論は1980年にアメリカに紹介されて、大きな衝撃を与えることになりました。そしてアメリカではクィア理論が登場しました。

 以下、ポスト構造主義がフェミニズムに及ぼした影響について論じた後に、ポストフェミニズムの中核となっているポストモダン・フェミニズムとクィア理論について、「統一思想」の観点から批判、検討していくことにします。

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 次回は、「ポスト構造主義とフェミニズム」をお届けします。


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