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「性解放理論」を超えて(59)

ジャック・ラカン⑥~性的関係/愛のための言語

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(四)ジャック・ラカン

6)性的関係
 エリザベス・ライトは次のように言います。「男性と女性のあいだにきれいに境界線を引くことはできない。それぞれの主体が、違うところに境界線を引くからだ。……ラカンにとって性的関係などといったものは存在しないのだ(※89)」。つまりラカンにおいて、「女は存在しない」のです。

 ラカンは、性的アイデンティティの差異とはファルス(機能)の差異であると言いますが、ファルス機能は男女によって異なった作用の仕方をすると言います。結局、男女の性差を完全に否定することは不可能なのです。

 さらにラカンは、ファルスとは現実の器官(ペニス)ではなく、したがって性的アイデンティティの差異はペニスの有無に関わりないと言います。ところがラカンは、ファルスは現実の器官ではないと断りながら、他方では男根(ペニス)を想起させています。すなわち、ファルスの意味を、能動性、生命力のように言いながら、ペニスをも示唆しているのです。これは正に、竹村和子が指摘しているように、シェークスピアの『オセロ』の中の陰謀の天才であるイアーゴ(Iago)も顔負けの奸計(かんけい)なのです(※90)。

(五)愛のための言語

 ポスト構造主義は、言の中に、権力が潜み、絶えず、揺らぎと攪乱(かくらん)があり、家父長的な封建道徳が作用していて、人間を抑圧していると主張します。

▲言語(言説)による人間の抑圧

 「統一思想」の観点から見れば、言は本来、神の言(ロゴス)に従うものであり、真(まこと)の愛へと導くものです。しかし、現実には、偽りの愛へと誘うサタン的な言も働いています。したがって私たちは、真なる愛へ導く言に耳を傾けるべきであり、偽りの愛に誘う言に耳を傾けてはなりません。文(ムン)師は次のように語っています。

 皆さんの心で、愛の鐘の音を聞きなさいというのです。そのようになれば、「私の口は愛の言葉だけを語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言うようになるでしょう。愛の言葉でないものは、耳が聞かないようにし、愛でないものは目が見ないようにするのを感じなければなりません。そのように生きれば、間違いなく皆さんは、遠からず神様の愛に酔うことができる境地に入るでしょう(※91)。

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89 エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』(40-41
※90 同上、竹村和子の解説(107
※91 文鮮明『真の父母経』(485-86

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 次回は、「フェミニズムを超えて」をお届けします。


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