https://www.kogensha.jp/shop/list.php?search[form]=1&search[sort]=&search[limit]=&search[q]=2023%E5%B9%B4&search[name]=&search[author]=&search[publisher]=&search[category]=&search[category2]=&search[release]=&search[price]=

創世記第3章[9]
霊的堕落の清算

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 創世記3章には、まずエバが蛇の誘惑によって堕落し、次にエバが実をアダムに与え、アダムがそれを食べて堕落したという順序が明確に述べられています。「統一原理」は、最初のエバの堕落を「霊的堕落」と呼び、二番目に起こったエバとアダムの堕落を「肉的堕落」と呼んで区別しています。

 この堕落の経路から見たとき、エバが持つ罪責(罪の責任)とアダムが持つ罪責には違いがあるということを知らなければなりません。『原理講論』291ページに、霊的堕落も肉的堕落も同じ堕落行為には違いないが、肉的堕落のほうがより原理的で、より赦(ゆる)し得る行為であると述べられていますが、そこからも罪責性に違いのあることが分かります。

アダムが堕落しなければ復帰摂理は容易
 ところがキリスト教では、霊的堕落と肉的堕落とに区別するという考え方がなく、「ひとりの人(アダム)の不従順によって多くの人が罪人とされたと同じように、ひとり(イエス)の従順によって多くの人が義人とされる」(ロマ519)というパウロの主張にも表れているように、エバの罪もアダムの罪も同じ罪責を持つものとして一緒にひっくるめて扱っています。つまり、キリスト教では、第二アダムであるイエスの贖罪によって、エバの罪もアダムの罪も同じように清算されると捉えているのです。

 さて、『原理講論』111ページに「エバが堕落したとしても、もしアダムが罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体がそのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理はごく容易であった」とあるように、アダムの堕落こそが、ある意味で決定的な堕落行為であったと見ています。ボンヘッファーも「先(ま)ずエバが堕落した…しかしながら、堕落の物語の目標はむしろアダムである。アダムの堕落によって、初めてエバは完全に堕落する」と主張しています。

 では『原理講論』のいうように、もしアダムが堕落しないで完成していたならば、どのような救済摂理が行われていたのでしょうか。

 「本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それらから離れるようになった経路と反対の経路をたどることによって蕩減(とうげん)条件を立てなければならない」という復帰原理から見たときに、霊的堕落のみのときの復帰摂理がどのようなものであったのかは、以下のように推論することが可能です。

 エバは天使長と不倫なる霊的性関係を結ぶことによって堕落しました。そのことは、エバが神の愛を裏切り、霊的に死んだことを意味しています。その堕落行為はまだアダムへは及んでいないので、エバの自犯罪ということになります。

 故に罪の清算は、エバ自身が、神や完成したアダムとの関係性の中で清算していかなければなりません。また、堕落は未完成期(長成期完成級)において起こりました。エバの復帰摂理を推論すれば、およそ次のようなものであると言えます。

蕩減の主役はエバが担う
1)未完成期のアダムは、堕落したエバを相手にしないで、神のみを見つめて成長期間を全うし、完成したアダムとなる。完成したアダムはみ言を天使長に伝え、神の愛によって天使長を自然屈伏する。

2)エバは、神を裏切って霊的に死んだので、反対に神から見捨てられる立場(いわば霊的死の境地)をある一定期間通過したとしても、今度は神の御旨を裏切らないで試練を乗り越えて勝利する。

3)エバはある期間アダムが自分を相手にしてくれなくとも、アダムを信頼し、かつ天使長が誘惑してきても今度は不倫しないで妻の立場を守り、アダムのもとへ自力で帰ってくる。

 ここで重要なのは、罪を犯したのはエバなので、完成したアダム(メシヤ)の前に「蕩減の主役」を担うのはエバ自身であるという点です。真のご家庭へ嫁いでくる女性が試練の道を通過するのは、以上のような蕩減が課せられてのことだと言えるでしょう。

 真のお母様の証しには「私は…グリーンハウスで摘まれて、砂漠に持って来られた花のように感じていました」とあり、また真のお父様のみ言にも「新婚時代は、お母様にとって厳しい試練以外の何ものでもありませんでした。…最初の7年間は、お母様の訓練期間だったのです。…最初の3年間は、神の前に、またサタンを屈伏させる…闘いの期間であり、次の4年間は家庭的な段階における闘いの期間であり…想像を絶する試練の期間を通過したのです」(1977.5.3)とあることからも、エバの蕩減の道をうかがい知ることができます。

 しかし、未完成期にあったアダムが堕落エバ(妾)を通じてサタンの主管圏に落ちたこと(肉的堕落)で、堕落エバに対する復帰摂理の道はふさがれてしまいました。

---

 次回は、「創世記第3章[10]罪と堕落性本性」をお届けします。