2022.11.13 17:00
第5部 近世に活躍した宗教人
③ジョージ・フォックス
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)
真理ゆえの迫害越え基盤築く
17世紀から18世紀、合理主義の影響下にあった宗教界の傾向に反対し、教理と形式よりも神秘体験に重きを置く新しい動きが現れます。一つがクェーカー派。その祖、ジョージ・フォックス(1624-91)は、「キリストは信徒の霊魂を照らす内的な光である。聖霊を受けて内的光明を体験しなければ聖書の真意を知ることができない」と主張。イギリスやアメリカなどで多くの迫害を受けながらも布教を行っていきました。
心に住む神の声聞き 従う者がキリスト者
フォックスはイギリスのレスターシャ州の織物業者の家に生まれます。彼は高い教育は受けませんでしたが、幼少期より宗教的に鋭い感受性を持っていました。
製靴業者の徒弟となった彼は、19歳の時に仲間のキリスト者の生活を見て失望します。居酒屋で浴びるように酒を飲む仲間たち。彼は一人その場を去るのです。
その夜、眠れずに祈っていると神の声を聞きます。「おまえは青年が虚栄を追い、老人が地上のことに没頭しているのを見た。青年や老人ら一切を捨て、そこを離れ去り、一切に対して他人となれ」と。それを機に、彼は家を出て、真理探究のための放浪生活を始めます。
国教会の牧師、大説教者といわれる人々を訪ねて助言を求めますが、満足のいく解答を得ることができません。彼は、牧師をはじめ一切の人間に絶望。聖書のみを持って断食し、人里離れた場所を幾日もさまよいます。
3年の苦闘のすえ、「おまえに向かって語るただ一人の者がいる。それはキリストである」との啓示に接するのです。彼は聖書を愛読しますが、聖書の文字よりもそれを記した聖霊をより重んじるようになります。
彼は、神は人の手で造った寺院ではなく、人の心に住まれることを感得。キリスト教は外的形式によるものではなく、人の心に住む神の声を聞き、日常生活でその声に従う者こそが、真のキリスト者だと確信するのです。
以来彼は各地で説教を行い、伝道を開始。「人は唯一キリストを信じる信仰によって救いに入る。それが成就するのは、人の内に神の力が働いているからだ。それが『内なる光』である。この『内なる光』を持っているからこそ人は無限に尊く、可能性を持つ」と。これはまさに統一原理が説く「良心の声」の教えです。
60回の裁判7年の投獄 無抵抗主義で徹す
フォックスは主流教派の「全的堕落」「予定説」の教理を退けます。彼の教えに感銘を受けた人々が集まってクェーカー(フレンド)派(基督友会)が興るのです。多くの者が集まってくるに従って、迫害も始まります。
フォックスは逮捕。判事から審問され、彼が「主の名を聞き震える」ことを証言すると、判事は嘲笑し、フォックスをクェーカー(震える者)と呼ぶようになります。
迫害、嘲笑の中、なおもフォックスは雄々しく立ち、伝道に邁進します。野宿し、教会の庭で、野外で説教するのです。ある日、彼は、白衣を着た大衆が主の許(もと)に集まってくる幻を見ます。その幻が実現し、迫害の中で、ある時は4千人もの人々が集うのです。こうやってフォックスの運動はゆるぎない基盤を築いていきます。
神霊に燃えるクェーカー派への迫害は厳しく、フォックス自身も60回法廷に引き出され、計7年の獄中生活を送ります。300人以上の殉教者を出し、ある者は20年の獄中生活をし、全財産を没収される者もいました。
しかし彼らは無抵抗主義に徹し、怨讐をも愛する姿勢で迫害を甘受、大迫害の嵐を越えていくのです。
堕落人間は霊と真理を持って、失った心霊と知能をよみがえらせなければなりません。『原理講論』に「堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである」(174ページ)とあるように、宗教改革期の人々も、聖書の文字にとらわれ、心霊面がおろそかになりがちです。「内なる光」を主張したフォックスは、心霊面に目を向けさせ、再臨主を迎えるために、心霊面をも復活させるための道を開拓した先駆者だったと言えます。
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次回は、「ツィンツェンドルフ」をお届けします。