2022.11.12 17:00
霊界の実相と地上生活(62)
統一霊界圏の中流層
36家庭の李相軒(イ・サンホン)先生(1914~1997)が霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ、「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
世界平和統一家庭連合
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第六章 統一霊界圏(統一霊界論)
三 統一霊界圏の中流層
人類が本然の世界で、森羅万象の祝福の中で、神様の前に喜びと美を返しながら永遠に生きていくことが神様の創造目的でした。ところが人類歴史の出発が誤ったがゆえに、統一霊界圏にも恨めしい階層が生まれたのです。
ここで話す統一霊界圏の中流層は、一般人のそれと似ています。ここは外見上、地上人の生活と似ています。衣食住の解決が容易でなく、個々人の努力の対価によって生きるしかなく、神様と会うことも容易でありません。被造物の姿も、地上の植物や動物や鉱物の姿と大きくは違いません。そのため突然死んだ人は、ここで生活すると、自らの死を認めることができないことがあります。
では、一般的な私たち食口(シック)が死んで、すぐに行くべき所はどこでしょうか。特別なケースでなければ、彼らの大部分は出迎えに来た自分たちの先祖と一緒にしばらく生きるようになります。しかし、時間が過ぎれば統一霊界圏に移るようになります。地上で困難な生を送っている途中で霊界に来た人は、統一霊界圏に行くことができず、先祖と一緒にその場にとどまって生きる場合もあります。しかし、そうなると地上の子孫の生がその蕩減(とうげん)ゆえに困難になります。とても言葉では表現しがたいのです。
中流層という階層を皆さんに説明するために、私が直接分析したデータがあります。その中流層に、私たち食口がどのくらい暮らしているでしょうか。地上では私たち食口の数があまり多くありませんでしたが、ここにはどれくらい食口がいるでしょうか。皆さんは、その数字があまり多くないと考えるはずです。しかし、そうではありません。私たちのみ旨と関連した者、自分が知らず知らず入会願書を出した者、知らず知らず去っていった者など、いろいろな種類があります。そして彼らに特恵も少なくありません。ところが、ここで実に神秘的な事実は、一般人の中流層と違う点です。
それは、彼らに神様の大きな配慮があるということです。時々刻々と神様が彼らを訪ねていって愛を施されます。神様の愛はどのように表現されるのでしょうか。ここには多くの教育とセミナーがあって、個別指導も相談も祈祷会もあります。
いろいろなグループを指導するたびに、一般霊界の中流層では見られない分離の役事(やくじ)が起きます。それは神様がすべての人々に神霊の恵みを特別に与え、地上での生を自覚し自ら罪を悔い改められるようになさることによって、神様と真の父母様の前に出ていける恩恵の道を下さるということです。これが統一霊界圏の中流層と、一般霊界の中流層との莫大(ばくだい)な違いです。自分自ら感動し悔い改めることによって神様の前に行ける道は、一般霊界の中流層では想像もできません。
統一霊界圏では、神様が下さる光彩の中で自らの誤りを悟って一定期間が過ぎると、神様の指示によって自分も知らないうちに上流層に移っていく場合もあります。これは、途方もない特恵です。これは一般霊界の中流層では極めてまれなことです。しかし、統一霊界圏では可能です。
明らかな事実は、地上の生と霊界人のアンテナが徹底して合わなければならないという点です。それはどういう意味かというと、簡単に話せば、霊界に行った自分の先祖の地上の生に対する清算と整理を、子孫が代わりに担い、すべての罪の蕩減をしなければならないということです。もしも先祖に金銭整理の過ちがあれば、その代わりにその子孫が返してあげなければならないし、他人に深刻な損傷を与えたとすれば、その子孫がそれを蕩減してあげなければなりません。このように先祖と子孫、霊界人と地上人のアンテナがよく合わなければならないのです。そうしてこそ、初めて神様の特恵が認められるのです。ところが、これは容易ではありません。
したがって、霊界人の地上の生を整理してあげるのは、子孫である地上人の責任であり、またそれは子孫としても福を受ける道です。先祖が困難な所にいれば、子孫はその蕩減を受けなければなりません。神様が立てた法は、天理原則です。「罪を犯せば罰を受ける」、「良いことをして人のために生きれば福を受ける」という話を私たちはよく耳にしますが、それは天理原則です。
自分自身が生きてきた姿は、そのまま自分のものです。自分が積んだ功績もそのまま自分のものです。自分だけのためにゆったりと、寝たり、食べたり、着たりしながら暮らしてきたにもかかわらず、この国でそのような人が福を受けて住めるならば、神様の法は公平とはいえないでしょう。それが因果応報の法則ではないでしょうか。それ以外の言葉で表現する必要があるでしょうか。
私たちの地上生活のために、何度も何度も口がすっぱくなるほどに霊界の実情を教えてくださる私たちの真の父母様、早くからこの霊界の実情を体験され、私たちに数え切れないほど語ってくださったのに、私たちはそのみ言(ことば)の深い意味を悟ることができませんでした。不孝者の李相軒は、罪人の中の罪人です。霊界に来て、この現実と実情を見て感じて、やっと分かるようになりました。相軒が真の父母様の前に犯した罪は、到底言葉では表し切れません。
地上人よ! 皆さん! 自らの苦労は自らの福として結実するがゆえに、長くない地上生活に未練を残さず、永遠の世界のために生きてください。中間霊界で生きている私たち食口の姿を、一つ一つ詳細に説明したいのはやまやまですが、いつか再会すべき私たちであることを思えば、どうしてそんな話ができるでしょうか。しかしここには、いろいろな神様の特恵があって、真の父母様に会う望みもあり、いつかは彼ら全員が上流層へ行く可能性を秘めています。
一つの事例を挙げてみましょう。ある家庭が地上で互いに淫乱の過ちを犯しました。地上ではお互いに隠して生きてきましたが、この国に来て互いの罪が分かり、夫婦であっても別々に暮らしていました。ところが折り悪く彼らの子女が昇華(聖和〈ソンファ〉)して、こちらに来るようになりました。皆さん、その子女は誰と暮らすでしょうか。その子女は孤児の身になって、父親とも母親とも一緒に暮らさずに独りで生きています。そんな姿を見つめる父母の心境はどうでしょうか。これよりもっと胸の痛い事情がたくさんあり、真の父母様がその罪目をすべて明らかにせよと命令なさいましたが、それだけは相軒にはできません。地上生活で公金に誤って手をつけて、この国でこじきの姿で生きる先祖がいた場合、彼の子孫はどうなるでしょうか。彼の子孫は、常に莫大な借金に追われることになります。
このような罪の清算は、誰がしてくれるのでもありません。蕩減の期間が終わる時まで、このような現実を見ながら待たなければならない、神様と真の父母様のことを考えてみてほしいのです。
真の父母様は、天上天下(てんげ)の真の父母様であり、メシヤであるため、地上に関することだけでなく、霊界へ来られてもこの現実を見て整理なさるのです。その時、皆さんはどんな心境でしょうか。
李相軒は草創期にお父様の「原理」を知り、ひざまずき、ひれ伏しながら決死の覚悟をしたことがあります。それは、私自身との約束であり誓いであり、私自身との闘いでした。しかし今の心情は、その時以上の痛みとなって相軒に近づいてきます。皆さんは私のこの現実を理解し、受け入れることができるでしょうか。
ああ! 私の神様、ああ! 私の真の父母様、メシヤ、救世主よ、相軒はどうしたらよいのでしょうか。この胸痛い現実をどうしたらよいのでしょうか。真の父母様、メシヤとして来られた私のお父様、この険しい道をいつ清算し、この渓谷の林をどのように進んでいくのでしょうか。
お父様、真の父母様、相軒に何をもっと明らかにせよと言われるのでしょうか。この現実を食口たちにすべて公開することを願われるのでしょうか。これ以上は胸が痛くて耐えられません。年若い興進(フンヂン)様がこの国に来られ、ただの一日も気を休めることができず、泣いて泣いて、また泣いて、「お父様、お父様、私をここに総司令官として送るのはあまりに過酷です」とむせび泣く興進様の事情に、お父様は目をつぶられるのでしょうか。
お父様、ここの現実をあまりにもよく御存じの上で、子女様を直接送って整理なさろうとされたのでしょうか。お父様、興進様を慰労してください。まだ幼いです。痛々しいです。そして榮進(ヨンヂン)様まで、その事実を目の当たりにするというこの現実は、実に胸が痛いです。
地上人の皆さん! 私たち自らの生は私たち自身が責任を取り、これからは神様と真の父母様の心の痛みを取り除いてさしあげましょう。李相軒が送ったメッセージの内容は決してうそではありません。熱心に読んで正しい生へと、正しい道へと開拓していきましょう。
(1999年12月26日)
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次回は、「統一霊界圏の下流層」をお届けします。