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続・日本統一運動史 39
東京・五日市の城山での御言と和動会

 真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 128. 10

(5)原理大修練会(1967. 6. 176. 30、本部教会)
12. 東京・五日市の城山での御言と和動会(7. 1)
 原理大修練会が終了した翌日の71日、真の御父様の提案により、大自然の中で過ごすこととなりました。

 「当日の朝、7時半、総勢約150名の兄弟姉妹は、2台の大型バスに分乗して、東京都下、西多摩郡五日市町を目指して出発した。2時間ほど乗ると、五日市町にある『城山』という小さな山のふもとに到着した。…海抜434メートルの小山である。先生は先頭に立って一気に登られた。皆もついて行った。…狭い山路を踏み締めつつ、急な岩道に足場を求めつつ、まさに先生の歩まれた道を、先生の足跡の上を、こうして実体的に歩いているんだという感激に誰もがひたった。…城山の頂上はほとんど満員になった。しばらくは山の頂上で声を張り上げて歌を歌って和動に興じた。それから、先生は、修練生として来ている全国の各地区長に、大修練会も終わって、新たなる出発をせんとしているその心構えを述べるようにと言われた。」(『成約週報』第130号より)

◇御言
 「韓国民族をして統一教会のあの精神でなければ、共産主義に勝つことはできない。国家も救うことができない。与党とか野党とかが戦っているけれど、彼らに対しては信頼できないという、そういう境地におる。それで国家自体にしても共産党に対して何の対策もないという現実におきまして、そういう環境を打開して我々統一教会としてその確固たる基準を立たして、全国の人民がいわゆる統一教会の精神でなければ、統一教会の食口たちのような人でなければ韓国を救うことができないという。それから共産主義より以上という、そういう基準をいかに立たせるかというその問題だったんだね。…

 原理講論を早く訳せ。関心持っているだろう。あの本で原理をわからなければならない。…創造原理から復帰原理。…歴史の背後におきましては、目的基準たるその神の存在を認めなければならない。…

 共産主義の批判克服というその題目で著述されている本は、統一原理を中心として書かれているから、最初に統一原理が出てくるよ。なぜ統一原理がその勝共という徹底化された思想的根本を持っておるか…。創造原理からずーっと紹介するよ。…共産主義を批判して余るような内容が我々原理にあるというんだね。…」(抜粋)

 7月1日の数日前、真の御父様御一行5人が五日市の菅沼志づさんの家に行くかもしれないという連絡が、教会から入っていました。ところが実際は5人どころか約150人を迎えることになってしまったのです。このときかかる費用は教会と菅沼さんとで負担することに決まりました。しかしその直後、菅沼さんは教会に電話をかけ、経費のすべてを自分が引き受ける旨を告げました。そして150人分のカレーライスやスイカなどを準備するために、保険を解約し、借金をして経費を捻出しました。手もとに残ったお金は1500円でした。孝進様(当時4歳)が遊んで服を汚し、着替えが必要になったとき、子供服を買いに行く婦人にその残りの1500円を渡しました。真の御父様は菅沼さんに「最高の言葉を上げるよ」と言われ、揮毫されました。それは「精誠」と「忠孝之源 誠心誠意」という御言でした。(『ファミリー』19998月号掲載の要約)

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 次回は、「東京・南平台での御言」をお届けします。

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