2022.11.10 22:00
勝共思想入門 11
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)
光言社・刊
第三章 宗教の発生とその役割について
二 マルクスの考え
マルクスのフォイエルバッハ批判は多くの分野にわたってなされているのですが、宗教の問題については、次のような彼の言葉が批判の本質をついていると思います。
「フォイエルバッハはしたがって、宗教的心情自体が“社会的生産物”であること、彼が分析する抽象的個人が現実においては一定の社会形態に所属することを知らない」(『十一のテーゼ』)。
このように、マルクスによれば宗教的心情というものは“社会的生産物”であるというのです。これがマルクスの中心的思想であり、また、マルクスとフォイエルバッハの違いはここにあるといってもよいのです。マルクスにとって、宗教のみが社会的生産物であるわけではなく、他に芸術、法律、哲学などもそうなのです。しかし、とりわけ彼が強調したいのは宗教です。
「社会的生産物としての宗教」といっても分かりにくいので、もっと具体的に説明してみます。
だれでも日ごろは神様なんか意識して生活しているわけではない。ところが、失業して職を探しているような場合は、先のことなど考えると、居ても立ってもいられないような気持ちになってくる。不安で不安でたまらなくなってくる。石川啄木ではないがじっと手を見たくなるような心境になってくる。世の中にはトントン拍子でうまくいっているような人もいれば、自分のように何をやっても駄目な人間もいる。何か自分には、目に見えない壁のようなものがあるのではないだろうか。その壁のようなものに自分はいつもはね返されているのではないだろうか。こんな不安がつのってくる。このように、個人を越えた、個人の力ではどうすることもできない、目に見えない無言の圧力を身をもって感じたときに、不安が恐怖となり、絶望となってくる。ここから宗教が発生するというのです。つまり、個人を越え、個人を支配する力が現実に存在することを知り、この力による苦しみから逃れようとする、このとき神頼みが始まる。これが信仰の出発だとするのです。
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次回は、「マルクスの宗教抹殺論」をお届けします。
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