2022.11.07 22:00
スマホで立ち読み Vol.9
『地域づくりは国づくり』11
入山聖基・著
『地域づくりは国づくり』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。
---
第二章 ヤコブの信仰と成長
11条は信仰告白
ヤコブは、この神様との出会いを生涯忘れませんでした。
それを天に約束して誓うために、ヤコブはその場所に石を立てて柱とし、油を注ぎ、その地をベテル(神様の家、父の家の意)と名づけました。そして誓いの証しとして「11条の誓い」を立てたのです。
第1イスラエルに始まり、第2イスラエルであるクリスチャン、そして第3イスラエルである私たち統一食口(シック)にまで受け継がれてきた、「11条の伝統」は、アブラハム(創14・18~20)とともに、このヤコブの原体験に基づいたものです。
「11条」というと、教会に捧げる献金の規則だと思っている人もいるかもしれません。しかし、本質はそうではなく、「神様はどんなときでも、私と共にある」という、「信仰告白」を意味しているのです。
私たちは11条を捧げるたびに、信仰を告白しています。
「今月も、神様は私と共にいてくださいました。そして、私をよきところへ導いてくださっています」と感謝するとともに、信仰を証ししているのです。
なぜ、「11条」が選民に伝統化されたのでしょうか?
それは、ヤコブがこれを21年間、守り続け、さらに生涯をかけて守り続けたからではないでしょうか? もし、ヤコブが途中で止(や)めていたら、そこでその習慣は消え、今日まで続く伝統とはならなかったでしょう。
このように、どんな苦難に襲われても、心を変えることなく、「11条の誓い」を忘れなかったことが、ヤコブ自身の「信仰基台」となったのです。
人生には、たとえ神様を信仰しているからといって、いいことばかり起こるわけではありません。
「人間万事塞翁が馬」という故事があります。この「人間」は「じんかん」といって世間のことです。この話は、人生、何がいいことで、何が悪いことか、最後まで分からないという意味です。こういう話です。
昔、ある老人が大切にしていた馬が北方の国に逃げていってしまいました。周りの人々が、「残念だったね」と慰めましたが、老人は、「これが不幸とは限らないよ」と言いました。
すると、しばらくしてその馬が戻ってきました。見ると、北方の良い馬を何頭も連れていました。周りの人が「良かったね」と言うと、老人は、「これが幸福とは限らないよ」と言いました。
またしばらくすると、老人の大切な息子がその馬に乗っていて、落ちて骨折してしまいました。周辺の人がかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は、「これが不幸かは分からないよ」と言いました。
その直後、北方の国が侵略してきました。すべての国の若者は出兵し、多くが死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を骨折していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。
この故事のように、人生は長く見れば、その瞬間に不幸に見える出来事が実は幸運な出来事であったり、幸運に見えることが不幸の原因になったりするのです。私たちも日々の出来事をその瞬間だけを捉えて一喜一憂することなく、信仰を持って日々を成長につなげたいものです。
良いときも悪いときも神様はいつも私と共におられる──これが「信仰」の核心的部分です。ヤコブはこの時、「信仰」をつかんだのです。それゆえに、その後に待ち構えていた試練の年月を克服することができたのです。
こうして、21年路程が終わるとき、神様は再び現れてこう言いました。
「わたしはベテルの神です。かつてあなたはあそこで柱に油を注いで、わたしに誓いを立てましたが、いま立ってこの地を出て、あなたの生(うま)れた国へ帰りなさい」(同31・13)
このように、神様もまた、誓いを立てたヤコブの姿を忘れてはいなかったことが分かります。
---
次回は、「苦難が私を成長させる」をお届けします。お楽しみに!