2022.10.31 22:00
スマホで立ち読み Vol.9
『地域づくりは国づくり』10
入山聖基・著
『地域づくりは国づくり』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。
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第二章 ヤコブの信仰と成長
信仰的確信を持つ
出郷したヤコブは、納得していなかったことでしょう。
イサクの家族の中で、人を殺しそうな危険人物は、長子の嗣業を奪われたことを怨(うら)んでいる兄エサウです。常識で考えれば、家族から遠ざけなければならないのは、エサウのほうでしょう。しかし、家を出されたのはヤコブでした。
「人を殺しそうなのは兄さんなのに、なぜ自分が罪人の逃避行のようにたった一人で故郷を離れ、両親に別れを告げて、見知らぬ地ハランへ向かわないといけないのだろうか」
まったく理解できなかったはずです。
ヤコブはすでに、外的には長子の嗣業を相続していました。家督を相続したれっきとした家長なのです。それがなぜ家を出ないといけないのか、まったく分からなかったはずです。
こういう思いがあったために、整理されない、悶々(もんもん)とした複雑な気持ちで、家を出たはずです。家族からも、神様からも見捨てられたような疎外感を感じたことでしょう。
もし、そのような心のまま、ラバンおじさんのところに行き、無慈悲な苦役を課せられたとしたら、きっと受け止めることができず、恨みの塊になったかもしれません。
そんなヤコブに転機が訪れました。
ヤコブは荒野で野宿をしました。そこはルズで、のちにヤコブがベテルと名づけた地です。荒野には当然、街灯はありません。真っ暗な中で火を起こし、その火を見詰めながら、いろいろなことを考えたでしょう。それでも答えがないのです。涙も流したことでしょう。
泣きながら石を枕に眠りに就いたヤコブは、幻を見ました。天に架かるはしごを、天使たちが上り下りする光景です。
そして、そこから聞こえてきたのは、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。……わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう」(創世記28・13~15)という神様の声でした。
ヤコブは、飛び起きて叫びました。
「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」(同、28・16)
神様が自分と共におられることを、そのときに「知った」と言っているのです。ヤコブにとって、神様が「私の神様」になった瞬間でした。
神様はいつも私と共におられ導いてくださっていたのに、私は気がついていなかったと、心から悔い改めたのです。
ここにおいて、私たちは信仰の核心とは何かを学ぶことができます。
「神様は、私が良いと思うときも、悪いと思うときも、いつも私と共におられ、私を行くべきところに導かれる」
これが、そのときヤコブがつかんだ信仰的な確信です。
私たちは、いいときは神様を信じますが、悪いように思えることが起こると、神様を見失ってしまうことがあります。起こる出来事によって、神様を信じたり信じなくなったりするのでは、本当の信仰とは言えません。
ヤコブの姿に、摂理の中心人物が持つべき信仰の核心が現れているのです。
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次回は、「11条は信仰告白」をお届けします。お楽しみに!