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スマホで立ち読み Vol.9
『地域づくりは国づくり』10

入山聖基・著

(光言社・『地域化講座~地域づくりは国づくり~天一国時代の伝道論』より)

 『地域づくりは国づくり』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。

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第二章 ヤコブの信仰と成長

信仰的確信を持つ

 出郷したヤコブは、納得していなかったことでしょう。

 イサクの家族の中で、人を殺しそうな危険人物は、長子の嗣業を奪われたことを怨(うら)んでいる兄エサウです。常識で考えれば、家族から遠ざけなければならないのは、エサウのほうでしょう。しかし、家を出されたのはヤコブでした。

 「人を殺しそうなのは兄さんなのに、なぜ自分が罪人の逃避行のようにたった一人で故郷を離れ、両親に別れを告げて、見知らぬ地ハランへ向かわないといけないのだろうか」

 まったく理解できなかったはずです。

 ヤコブはすでに、外的には長子の嗣業を相続していました。家督を相続したれっきとした家長なのです。それがなぜ家を出ないといけないのか、まったく分からなかったはずです。

 こういう思いがあったために、整理されない、悶々(もんもん)とした複雑な気持ちで、家を出たはずです。家族からも、神様からも見捨てられたような疎外感を感じたことでしょう。

 もし、そのような心のまま、ラバンおじさんのところに行き、無慈悲な苦役を課せられたとしたら、きっと受け止めることができず、恨みの塊になったかもしれません。

 そんなヤコブに転機が訪れました。

 ヤコブは荒野で野宿をしました。そこはルズで、のちにヤコブがベテルと名づけた地です。荒野には当然、街灯はありません。真っ暗な中で火を起こし、その火を見詰めながら、いろいろなことを考えたでしょう。それでも答えがないのです。涙も流したことでしょう。

 泣きながら石を枕に眠りに就いたヤコブは、幻を見ました。天に架かるはしごを、天使たちが上り下りする光景です。

 そして、そこから聞こえてきたのは、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。……わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう」(創世記281315)という神様の声でした。

 ヤコブは、飛び起きて叫びました。

 「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」(同、2816

 神様が自分と共におられることを、そのときに「知った」と言っているのです。ヤコブにとって、神様が「私の神様」になった瞬間でした。

 神様はいつも私と共におられ導いてくださっていたのに、私は気がついていなかったと、心から悔い改めたのです。

 ここにおいて、私たちは信仰の核心とは何かを学ぶことができます。

 「神様は、私が良いと思うときも、悪いと思うときも、いつも私と共におられ、私を行くべきところに導かれる」

 これが、そのときヤコブがつかんだ信仰的な確信です。

 私たちは、いいときは神様を信じますが、悪いように思えることが起こると、神様を見失ってしまうことがあります。起こる出来事によって、神様を信じたり信じなくなったりするのでは、本当の信仰とは言えません。

 ヤコブの姿に、摂理の中心人物が持つべき信仰の核心が現れているのです。

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 次回は、「11条は信仰告白」をお届けします。お楽しみに!



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