2022.10.31 22:00
「性解放理論」を超えて(57)
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
五 ポスト構造主義を超えて
(四)ジャック・ラカン
(4)他者
ラカンによれば、人間は他者との関係によって「自分」が形成されます。生まれたときから「自分」なのではありません。私たちが「自分」だと思っているのは、本当は他者によって作られた作り物なのです。
ラカンは「他者」には小文字の「他者」(other)と大文字の「他者」(Other)があると言います。エリザベス・ライトによれば、小文字の「他者」は、「子供が鏡のなかに見る像、実際には断片化されている主体の本質を覆いかくす、実物以上に見える完全な姿を象徴している。にもかかわらず、このナルシスティックな完璧さのおかげで、主体はエゴを確立することができる(※82)」と言うのです。
小文字の「他者」は母親という鏡に映った像です。すなわち赤ん坊は母親に指示されて自分を作りあげていくのです。他方、大文字の「他者」とは父親です。しかるに秩序をもたらす父親は、実在の父親ではなく、「象徴的な父」です。ラカンはそれを「父-の-名」(Name-of-the-Father)と呼びます。それは法、掟(おきて)、秩序であり、「言語」です。父の名とは、父親のもつ象徴的な禁止の機能を意味するものであり、言語による去勢を課すものを示すのです(※83)。
ラカンによれば、小文字の「他者」(other)とは、母親という鏡に映った像であり、子供が「自分」だと思っているのは、その「他者」によって作られた作り物であると言います。そうではありません。子供は母のまなざしに見守られながら自我を成長させていくのです。
またラカンは、子供は大文字の「他者」によって去勢されて、法のもとに身をおくようになると言います。大文字の「他者」とは象徴的な父であり、法、掟、秩序、禁止の機能であると言いますが、なぜそのような「他者」が存在しているのか、明らかにしていません。「統一思想」の立場から言えば、神の言(ロゴス)がわれわれを導いているのです。そしてそれはわれわれを去勢するものではなく、真(まこと)の愛へと導く、愛の道標なのです。
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※82 エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』(85)
※83 同上(90)
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次回は、「ジャック・ラカン⑤~性的差異とファルス」をお届けします。