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「性解放理論」を超えて(56)

ジャック・ラカン③~現実界、想像界、象徴界

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(四)ジャック・ラカン

3)現実界、想像界、象徴界
 ラカンは「現実界」、「想像界」、「象徴界」という三界の理論を提示しました。現実界は、フロイトの言うイド(エス)と同様、未知で制御しがたく、言葉やイメージとして固定できない領域です。想像界はイメージや空想の領域のことであり、象徴界は幼児が想像界を離れて参入することを強いられる言語の領域です。現実界は象徴化することのできないもの、すなわち言語の境界の外側にあるものです。

 カトリーヌ・クレマン(Catherine Clément)はラカンの三界の理論を現実界とイド(エス)、想像界と自我、象徴界と超自我、というように、フロイトの構造論と対比させて考察しました(※79)。

 象徴界とは、言語と法によってもたらされる構造化の世界であるとされます。そしてそれは主体に去勢を課すものであると言います。エリザベス・ライト(Elizabeth Wright)によれば、

 ラカンにとって象徴界という次元(=審級)とは、主体が出現する場を形成する既在の言語の次元と法のことである。あらかじめ確立された言語と文化の法則にはさまざまな特徴がある。それらは主体を混沌(こんとん)とした幼児期の経験から生み出すものであると同時に、主体に去勢を課すものでもある。主体は去勢されることによって、取り返しがつかないほど分裂したものという運命を負わされ、想像のなかで行なうさまざまな同一化と、そこに侵入してくる現実界と、象徴界の法の要求とを結びつけられなくなってしまう(※80)。

 象徴界の法とは父の法ですが、子供が象徴界に入るとき、その法の下に入ります。ソフィア・フォカ(Sophia Phoca)は次のように言います。

 ラカンによれば、母の身体への幼児の一次的関係と、根源的な依存(想像界と呼ばれている)は、子どもが象徴界の秩序に入るさいに抑圧される。《象徴界》とは、すべての言語的意味を構築する父の法である。母の身体に対するリビドー衝動を子どもが否認することによってのみ、《象徴界》は可能になる。《象徴界》は、法によって構造化された単声的言語のなかに、想像界の多型的リビドーや混沌を抑圧している(※81)。

 カトリーヌ・クレマンによれば、ラカンはフロイトの「リビドー」→「自我」→「超自我」の定式を踏まえて、人間の認識の世界を「現実界」→「想像界」→「象徴界」としたと言います。現実界は赤ん坊の感覚が未分化の状態を言い、言語の境界の外側にあります。想像界は鏡を見て自己を発見して分裂した感覚を統合する段階をいい、イメージや空想の領域です。象徴界は言語によって構成される世界です。

 「統一思想」から見れば、幼児が生後間もない時には、霊人体の生心は未熟であって、肉心の要求で生きていますが、次第に生心が成長し、知情意が発達してきます。知的な面からいえば、感性から悟性、悟性から理性と発達してくるのです。そのような幼児の成長過程をラカンは現実界(無意識)→想像界(感性)→象徴界(悟性、理性)として捉えたと言えます。

 ラカンは、象徴界は主体に去勢を課すとか、抑圧すると言いますが、そうではありません。子供が成長するにつれて、理性が発達してきて、肉身の欲求をコントロールするようになるのであり、それを去勢とか抑圧と言うのは誤りです。

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79 福原泰平『ラカン』講談社、2005348
80 エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』(88
81 ソフィア・フォカ、レベッカ・ライト、竹村和子、河野貴代美訳『ポストフェミニズム入門』作品社、2003158

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 次回は、「ジャック・ラカン④~他者」をお届けします。


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