シリーズ・「宗教」を読み解く 239
キリスト教と日本⑱
聖都エルサレムを巡礼した最初の日本人

ナビゲーター:石丸 志信

 ペトロ・カスイ岐部は聖都エルサレムを巡礼した最初の日本人となった。
 インドのゴアから船便でポルトガルを経てローマを目指す仲間を送り出した彼は、まずはペルシャからの陸路で聖都エルサレムを目指す。

 彼が司祭になりたいと願うのは、ひとえに、迫害の嵐が吹き荒れる日本で、苦難の中にある信徒らを励まし、霊的生命を与える牧者の使命を果たすためだったに違いない。それは、いかなる艱難(かんなん)をも恐れず、殉教をも甘受する決意がなければ歩みだせない人生の選択だった。
 また、いくら本人が決意を固めたとしても、神からの許諾がなければ前には進めないものだった。

 自分がこれから進もうとする人生が神の召命によるものかどうか、確信を得て全身全霊を傾けてイエス・キリストに従って生きるために、主が歩まれた聖地を訪れたいと思うのは自然なことである。

▲ペトロ・カスイ岐部像(大分県国東市国見町)

 砂漠を越える隊商の一団に加わってエルサレムに入ったであろう。おそらくイエス・キリストが歩まれたガリラヤ地方を巡り、山上の垂訓の丘で祈り、ヨルダン川をたどり、聖都エルサレムの旧市街、「悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)」と呼ばれる、イエス・キリストが十字架を担って歩いたその道を祈りながらたどったことだろう。

▲エルサレム旧市街地

▲「嘆きの壁」(エルサレム)

▲聖墳墓協会(エルサレム)

 90年余り前、イエズス会の創始者でフランシスコ・ザビエルの師でもあったイグナチオ・デ・ロヨラも巡礼者としてこの道を歩いた。

 「聖なる都が見える少し前、聖フランシスコ会の修道士たちが十字架を持って巡礼者たちを待って立っているのが見えたので、巡礼者たちはロバから降りた。都を眺めている間、巡礼者は大きな慰めを感じ続けた」(『ある巡礼者の物語~イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝』イグナチオ・デ・ロヨラ著)

 これはロヨラが自身の自叙伝の中に記していることだが、ペトロ岐部も同じ思いで聖都を眺め、その地を深い祈りでもって歩いたことだろう。
 彼はイエス・キリストとの霊的交わりを深めた後、1620年秋にローマ入りを果たした。


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