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心情開拓
心霊を育てる生活原則(74)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
事件の受け止め方

 もし父母に迫害を受けたとか、だれかに憎まれたという時は、必ず理由があるのです。自分がそれを、有り難く引き受けなくてはなりません。蕩減(とうげん)というのは、受けて、それを基台として、もっともっと因縁を結ぶという目的があるのに、その問題、その事件で、主体と自分が離れて、その問題で不平を言ったり、刺激を受けたり、情的に揺れて、かえってその人のために協助しようと愛をもってきたのに、それを怨讐(おんしゅう)と見た場合、自分の位置を失ってしまうのです。

 イスラエル民族も、「モーセは私たちのために殺害をしたのだ」と思えば成功するのです。ここで、こういう事件の取り扱い方を学ぶのです。

 私たちも、行く道にこういう事件があれば、「これは私のためだ」と思えば、一つも引っ掛からないのです。自分に必要でないものは自分にぶつからないのです。いくら悪いようであっても、自分に必要なのです。自分に怨讐のようであっても、その怨讐は自分のためになっているのです。こういう例を信仰者は相当体験します。悪いようでも、祝福なのです。過ごしてみれば、祝福です。

 家庭が破壊されて財産がないとか、その場面は、悲観すべき場所なのですが、過ごしてみれば何か歴史的条件を清算して、新しい世界を発見できるのです。だれよりも先に、だれも知らない世界を発見し得る条件になるのです。

 これを歴史的に学べば、これから行く私たちには、どういう事件があるか予想できます。私たちの目的と、現在という時を知れば、私たちの行く道に、どういう事件があるのかということが分かるのです。

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 次回は、「外的環境と内的心情」をお届けします。


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