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創世記第3章[4]
失楽園解釈と結婚観

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 カトリックとプロテスタントが、結婚や性の問題をどう捉えているのか、その見解の共通点を挙げると、(1)結婚は神の定めた神聖な秩序 (2)本来、性は神によって祝福された清いもの (3)人間始祖の堕落により、性欲・性交に罪の要素が含まれている (4)人は性を道徳的意思によって統御し、神のみ旨に沿うよう行使すべき――などになります。

ルターは正しい結婚で性欲の昇華を説く
 ところがカトリックとプロテスタントの見解には大きな相違点が存在しています。カトリックは結婚をサクラメント(罪の赦〈ゆる〉しの秘蹟〈ひせき〉)として認めており、教会の儀礼を通じて救いの恩寵を受けると考えます。

 また、聖職者の独身制が確立されており、それは性欲を罪悪視し、結婚生活よりも神にささげられた独身生活を優位に置くところに由来しています。つまりカトリックは、結婚式を高く評価すると同時に、性欲に対しては否定的な見解を持っています。

 一方、プロテスタントは結婚のサクラメントを排除するとともに、旧教の独身制を否定し、牧師の妻帯を認めました。これはルター(14831546)の行った聖書解釈に大きく影響されたものです。

 ルターは、神様は「生めよ、ふえよ」(創世記128)と性を祝福され、かつアダムとエバは堕落前にすでに性の交わりを行っており――創世記224節の「結婚賛歌」のこと――、ゆえに性そのものは原罪の起原と無関係で、あくまでも原罪とは神の戒めに対する不従順であり、それは神のようになりたいという高慢な思い、すなわち自己追求(利己心)こそが起源であると考えました。

 このルターの解釈は、「結婚賛歌」が失楽園の後にくるべき聖句であるとしたヒエロニムスとは違って、聖書の文脈が時間的流れと一致するものとして捉えた聖書解釈でした。前回で述べたように、結婚賛歌(創世記224)は、創世記1章の天地創造における「三大祝福」(同128)の聖句に対応する並行記事であり、そのような観点から言えば、聖書に書かれた順序が必ずしも時間的流れと一致するとは限りません。

 しかしルターは、人間始祖が堕落前に性の交わりを持っていたと考えたところから、性欲を罪悪視するカトリックの解釈を否定しました。そしてむしろ独身制が淫行の温床となっていた当時の教会を非難し、いっそ正しい結婚をし、性欲の昇華を図った方がよいと考えたのです。

 つまり、結婚こそ性欲を処理するいちばん有効な道であるとしたのです。さらにルターは結婚の秘蹟(サクラメント)に対しても、結婚は不信者の間にも存在しており、特に教会だけに属するものではない。まして結婚することによって恵みを受けることは聖書のどこにも書かれていないとしてカトリックを批判しました。ルターの解釈においては、結婚式が救いの恩寵を受ける秘蹟ではあり得なかったのでした。

カトリックは「真の結婚は再臨の日に」を継承
 以上のように、カトリックとプロテスタントの失楽園をめぐる解釈が異なるために、両者は和合することの困難な状況をつくっています。実は、これらの敵対する聖書解釈に関して、そこへ「統一原理」を持っていくとカトリックとプロテスタントが相和合する道が見えてきます。

 「統一原理」は、カトリックと同様(特にクレメンスやエイレナイオスの解釈と類似する)、堕落とは性的形態を通じて成立したと見ています。しかし、かと言って性欲そのものを罪悪視しません。ルターと同様、性は神によって祝福された清いものであり、三大祝福を実現するために神から付与された自然的欲求であると見ます。

 故に結婚することが自然であり、独身主義は神の願われた創造本然の基準ではないと見ます。しかしカトリックの独身制にも評価すべきものがあり、それは堕落が父なる神の祝福なくして、時ならぬ時(未成年期)に取って食べたことに起因するので、今度は、再臨主が来られて本然の結婚の基準を取り戻すまで、罪の償いとして聖職者(アベル)が人類を代表して蕩減(とうげん)条件を立ててきたのだと解釈できます。

 興味深いことに、カトリックの修道院には「真の結婚は再臨の日に成就する」という考えが継承されています(岩村信二著『キリスト教の結婚観』)。故にエペソ人への手紙531節を根拠に、教会の執り行う結婚式によって恩寵が与えられるとするカトリックの考えは、大いに評価すべきものがあると言えるでしょう。

●カトリック
性欲:原罪と関係している
結婚式:
・秘蹟である。独身制
・聖職者の独身制は、結婚よりも優位
原罪:アウグスティヌス以来、原罪=性欲とみなす傾向性あり

●プロテスタント
性欲:自然的欲求。原罪と無関係。性欲は罪にあらず
結婚式:
・秘蹟にあらず。神の定めた秩序
・独身制は不自然。結婚して性欲の昇華を図るべき
原罪:戒めに対する不従順。神のごとくなろうとする高慢、高ぶり

●統一原理
性欲:自然的欲求。堕落は性的形態を通じて発生
結婚式:
・秘蹟性を受容。神の定めた秩序
・独身制は本然の基準にあらず。独身制を蕩減として評価
原罪:戒めに対する不従順。不倫の愛により発生。性欲は罪にあらず

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 次回は、「創世記第3章[5]悪の発生」をお届けします。