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「性解放理論」を超えて(54)

ジャック・ラカン①~言語と人間

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(四)ジャック・ラカン

 フェミニズムは多くのことをフロイトの精神分析から学んでいますが、中でも精神分析を専門とし、「フロイトに帰れ」と叫んだラカンの影響を強く受けています。以下にラカンの思想の要点と、それに対する「統一思想」の見解を述べます。

1言語と人間
 ジェーン・ギャロップ(Jane Gallop)によれば、他のポスト構造主義者と同様、「ラカンは、言語が主体を語るのであって、話し手は言語を支配するのではなく、言語に支配されるのだと教えている(※74)」のです。人間が言語を操っているのではなくて、言語が人間を操り、支配していると言うのです。

 ラカンによれば、男女の性的差異の起源と発達は言語の領域内にあると言います(※75)。すなわち、「言語が男女を創った」ということです。さらにラカンは「シニフィアンの戯れ」がシニフィエをつくり出すと言います(※76)。

 言語学者のソシュールは、言語をシニフィアン(音、記号)とシニフィエ(意味)という二項対立的に唱えましたが、ラカンはシニフィアンが最初にあって、シニフィエをつくり出すと言うのです。シニフィアンとは単語の持つ音の側面であり、シニフィエとはそれに対応する概念です。

 ラカンによれば、言語が人間を操り、支配しているのであり、「言語が人間を造った」のです。これは正に「労働が人間を造った」と言うマルクス主義、「自然選択が人間を造った」と言うダーウィニズムと同様な、唯物論的な発想です。さらにラカンは、言語においてシニフィアンがシニフィエをつくり出すと言うのです。

 「統一思想」から見れば、性相(性質、機能)と形状(形、質料)の二性性相において、性相が主体であり、形状は対象です。すなわち、形状は性相を表すための材料であり、手段です。

 例えば画家が絵を描くとき、絵の具で美を表現するのであって、絵の具から自動的に美が出てくるわけでないのです。

 「統一思想」の観点から言えば、言語が人間を操っているのではなくて、人間が言語を操っているのです。そしてシニフィエはシニフィアンから出てくるのではなくて、シニフィエはシニフィアンによって表現されるのです。

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74 ジェーン・ギャロップ、富山太佳夫、椎名美智、三好みゆき訳『ラカンを読む』岩波書店、2000(42)
75 エリザベス・ライト、椎名美智訳『ラカンとポストフェミニズム』岩波書店、2005(27
76 同上(4

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 次回は、「ジャック・ラカン②~鏡像段階と自我の形成」をお届けします。


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