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「性解放理論」を超えて(53)

ジャック・デリダ⑨~同一性の否定/メシアニズム

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(三)ジャック・デリダ

12同一性(アイデンティティ)の否定
 ダーウィニズムによれば、生物の種は固定されたものでなく、絶えず突然変異によって変化しているのです。デリダは、それと同様に、言葉は絶えず変化していると言います。

 デリダによれば、差異だけが存在するのであって、「自分自身であり続ける」という性質を持つ「肯定的な言葉」など全くないのです。つまり言語は常に途方もない流動性の中にあるということです。

 デリダにとって、「アイデンティティの不調」なしのアイデンティティなど存在しません。すなわち、デリダの関心は「あるひとつのアイデンティティが与えられたり、受け取られたり、あるいは到達されたりすることなど決してない。ただ、同一化の幻想の終わりなき、そして際限なきプロセスが持続するだけ(※71)」なのです。デリダにとって、アイデンティファイ(同一化)することは常に、付け加えること、繕うこと、成り代わることの論理を伴っているのであり、「私たちは(つねに)(いまだ)発明されるべきもの(※72)」なのです。これは正に、人間はいまだ進化の途上にあると言うダーウィニズムの主張と全く同じです。

 すでに見てきたように、デリダの思想は、生物は絶えず変化し、多様化していくというダーウィニズムに類似したものです。デリダの思想は、正に言語的進化論と言うべきものです。生物の種が突然変異と自然選択によって進化すると言うダーウィニズムが誤りであるように、差異(ズレ)、差延、散種、代補などによって、言葉の意味がどんどん変わっていくというデリダの主張も誤りです。

13)メシアニズム
 デリダは来たるべきものとして「宗教なきメシア主義」を掲げます。それは「身分も、称号も……党も、国も、民族的共同体も、共通の市民権も、ひとつの階級への共通の帰属も、なしの」結びつきであり、「新たなインターナショナル」です。「宗教なきメシア主義」とは、「砂漠のメシアニズム」とか「絶望のメシアニズム」とも言います(※73)。到来する他者が固定され、規定され、現前する存在者となることは決してないこと、それは常に「来たるべきもの=未来」であり、「約束」であり続けることを意味しているからだと言うのです。

 デリダは来たるべきものとして「宗教なきメシア主義」、「砂漠のメシアニズム」、「絶望のメシアニズム」を掲げます。それは人類を希望のカナンの地に導くものではなく、絶望の砂漠に導くものです。それに対して、「統一思想」は人類を希望のカナンの地に導く、真なるメシアを待望する「希望のメシアニズム」を掲げているのです。

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71 ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』(118
72 同上(119
73 同上(248

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 次回は、「ジャック・ラカン①~言語と人間」をお届けします。


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