2022.09.23 12:00
続・日本統一運動史 32
真の御父母様御一行歓迎会②
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 12〜8. 10)
(2)真の御父母様御一行歓迎会(1967. 6. 12、本部教会)
3. 御言『神の心情の境』(6. 12)
「世界は今、随分、困難な時期に入っている。民主主義と共産主義が今、対決しておるこの真っ只中におきまして、我々統一教会を中心としていかにして進むかということが問題である。…いかなる多くの問題があるとしても、その問題の最後の解決点は何かというと、真なる人間が必要だ。また真なる人間として必要なものは何か。それがいわゆる心情問題に入っていく。…それは愛情の問題になるわけなんです。…愛の主人は誰か。…人間自身から出発した愛でない、ということが言えるわけである。…それは神に違いない…。…この愛を、素直な立場に立ってこれを継げ得たならば、我々人類社会は愛に飢えた立場に立たないわけなんです。…
我々の国において…経済的問題、政治的問題、あらゆる社会的問題を中心として、その国の栄えるのを願っている国があるかもしれない。それよりも最も問題になるのは何かというと、その栄える社会を聖なる道に導き得る、その中心問題たる愛の問題が最も重要な問題であるということを、この世界のすべての国は知っていない。また万民もそれに対して考えていない。…
先生としていつも考える…その中心となるその心情は…いくら自分が辛い立場にあっても、いくら悩めるどん底の立場に陥っても、その一心の底の願いは…自分よりも悩んでおる天の父であるということである。自分における40数年間の苦労は限られた苦労である。しかし6000年間の苦労というのは、我々人間には、どうにもこうにもそれはわかりきれる悩みじゃない。そのことがわかればわかるほど、我々は頭を下げなければならない。…
一瞬のその苦しみは、我々は忍び得ることができる。しかし堕落以降、今まで続いてきたその神の苦しみは、耐え忍び得る苦しみではない。しかし神はこれを耐え忍んできた、忍耐心をもって耐え忍んできた。だから『神自体におきまして、堕落以後の神の足跡は何ですか?』と聞けば、『我は忍耐である』と答えるでしょう。…もしもそういう神の心情を知った神の子女たちがおれば、いかなる苦労の道、いかなる復帰の路程でも、我々は責任をもっていかなければならない。一国のその復帰の摂理の責任ばかりでない。世界的あらゆる人民を我々が責任をもって、万民の死を全体的死を総合した立場において我ひとり子としてついていきたいという願いを持たなければならないという立場に立たされている。これが、復帰路程をわかった我々統一教会の各個人としての心情基準でなければならない。…
時間を短縮させるには、それに比例した我々の血と涙と汗が必要である。…
民主主義自体が、神の前に一つの障害となっておる。…西洋よりも東洋…彼らは心情的に天に近い立場にある。…東洋を動かして西洋を救わなければならない。…
アベルの使命は何かというと、カインを解放することである。…アベルを立たせたのは、カインを救わんがためである。救うには神から受けたその愛をそのままそっくりカインの方によこしてやるとともに、自分の愛情を重ねて、合わせてよこさなければならない。…そこから復帰の道が開ける…。神の歴史は、愛する者を打つ歴史である。…
世界から見れば、日本の一億国民は愚かな人々であるとされても、しかし、それは問題じゃない。神から見れば同情し得るかたわの立場に立っておれば、不幸なる感じを感ずるな。…そこには世界的天宙的幸福がある。我々はそれを願って出発しなければならない。」(抜粋)
4. 原理研究会の旗の授与式(1967. 6. 12)
真の御父様から日本の原理研究会へ原研旗が授与されました。
5. 歓迎大和動会(1967. 6. 13)
6月13日、東京・安田生命ホールで、真の御父母様御一行の歓迎大和動会が行われました。
「この日、最も兄弟の笑いを誘い、驚きを与えたのは、わずか4歳の孝進(ヒョウジン)様の歌であった。少しも物怖じする風もなく、堂々と明瞭な日本語で『お馬の親子』と『春が来た』を、もう一曲を韓国語で歌われた。」(『成約週報』第127号より)
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次回は、「東京地区和動会での御言」をお届けします。