2022.09.19 22:00
「性解放理論」を超えて(51)
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
五 ポスト構造主義を超えて
(三)ジャック・デリダ
(9)他者
デリダによれば、「脱構築はいつも、言語の〈他者〉に深くかかわっている。ロゴス中心主義の批判とは、何よりもまず〈他者〉の探求であり、〈言語の他者〉の探求なのだ(※58)」と言います。そして「他者の呼びかけへの応答としてのみ脱構築ははじまる(※59)」のです。では、〈他者〉とは、いったい何でしょうか。
ニコラス・ロイルによれば、「デリダはつねに言語に先立つものや、言語を超え出るものに関心を持ってきた。しばしば彼はそれを“力”と呼んでいる(※60)」のであり、デリダは、「力とは、それなしでは言語がそれであるところのものではありえなくなるような、そのような言語の他者なのである(※61)」と言います。つまり言語に先立つ「力」が、言語の他者であると言うのです。それは言語を背後から動かしている何ものかです。
そして未来において来たるべき「全き他者」について、デリダは「神や人間、あるいはそのような星座におけるどの形象(主体、意識、無意識、自我、人間[男]ないし女、その他諸々)とも、もはや混同されることのできない全き他者(※62)」であると言います。それは正に「正体のなき者」です。
デリダの言う「正体のなき者」、「全き他者」とは、いったい、何でしょうか。それは無であり、混沌(こんとん)とも言うべきものであって、それが言語を背後から動かしていると言うのです。それは正に自己の正体を隠しながら、正義の装いをした悪霊(サタン)にほかなりません。
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※58 高橋哲哉『デリダ』(159)
※59 同上(202)
※60 ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』(123)
※61 同上
※62 同上(305)
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次回は、「ジャック・デリダ⑧~愛と死/言葉は暴力」をお届けします。