2022.09.12 22:00
「性解放理論」を超えて(50)
「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。
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大谷明史・著
五 ポスト構造主義を超えて
(三)ジャック・デリダ
(7)形而上学の否定
形而上学(けいじじょうがく)は一般に、超感覚的な世界を真なる実在と考え、これを純粋な思考によって認識しようとする学問であり、神の存在、神の言(ことば)〈ロゴス〉、目的論などをその特徴としています。
そのような形而上学に対して戦いを挑んだのがウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)とデリダでした。二人とも、解決のための鍵は言語にあると考えました。けれども、その方法は異なっていました。ポール・ストラザーンは次のように語っています。
デリダは“哲学の問題”を解決する際、言語を内部から破裂させるという単純な手段を用いた。言語の意味を爆発させ、無数の断片に引き裂こうとした。……他方、ウィトゲンシュタインによれば、……言語の使用の誤りから、哲学というものが生じる。もつれた糸を解きほぐせば、誤りは消え去るはずである。哲学の問いには答えがないだけではない。そもそも、問われてはならないものなのである。……いわばウィトゲンシュタインはシルクハットのなかのウサギを消したのに対し、デリダは無数のウサギをつくり出したのである(※56)。
このような形而上学否定の精神はマルクス主義、ダーウィニズム、フロイト主義に共通するものです。「統一思想」はマルクス主義、ダーウィニズム、フロイト主義を批判、克服し、神の実在、神の創造、神の言に由来する規範について明らかにしてきました。デリダの思想も、マルクス主義、ダーウィニズム、フロイト主義の崩壊とともに、崩壊していくことでしょう。
(8)絶対的真理の否定
18世紀、スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(David Hume)が、全ての知識は経験、つまり知覚に基づくと主張しました。知識は経験に由来すると言う経験論を徹底的に突き詰めていけば、客観的な知識は崩れ落ちてしまう。したがってヒュームによれば、絶対的な真理はあり得ず、知識は相対的なものにならざるを得ないのでした。
1931年、オーストリアの数学者ゲーデル(Kurt Gödel)が、数理論理学の手法を用いて、不完全性定理を打ち立て、数学が決して確実なものであり得ないことを証明しました。それに対して、デリダは“論理のプロセス全体”を無効なものにして、哲学が確実なものでないことを示そうとしたのです。
しかしデリダのそのような主張にもかかわらず、普遍的、絶対的な真理は実在するのです。
実際、伝統的なキリスト教、仏教、儒教、イスラム教などが説いた徳目(規範)は本質的に共通なものであり、時代を超えて普遍的、絶対的なものです。
ポール・ストラザーンは、数学や科学の知識は普遍的、絶対的なものであると言い、次のようにデリダに反論しています。
「とはいえ、バークリーやヒュームからの攻撃があっても、結局、数学や科学は生き延びた。ゲーデルから刃を突きつけられても、数学も科学も活動を続けている。これは何を意味しているのだろうか(※57)」。
実際、われわれは三角形の内角の和が180度であることを疑わないのです。
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※56 ポール・ストラザーン『90分でわかるデリダ』(80-81)
※57 同上(47)
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次回は、「ジャック・デリダ⑦~他者」をお届けします。