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「性解放理論」を超えて(49)

ジャック・デリダ⑤~散種/代補

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 『「性解放理論」を超えて』を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(三)ジャック・デリダ

(5)散種
 デリダは言葉の意味が絶えず多様化していくことを示すために、「散種」(dissémination)という名詞を持ち出しました。散種は「意味を撒(ま)き散らす」という意味です。デリダが示そうとしたのは、言葉はその正統的な由来と思われるものから離れて思わぬ方向に多様に延びてゆく力があるのを見てとることでした。つまり散種とは、哲学と呼ばれるものを不断に置き換えてゆくことにほかなりません。

 これも差延と同様、ダーウィニズムの突然変異の発想と同じです。しかし、突然変異によって種の形質が一部変化するとしても、種そのものは不変であるように、言葉の意味が絶えず多様化していくとしても、基本となる意味は不変であり、アイデンティティを保持しているのです。

6)代補
 「代補」(supplément)とは、何かに対してそれをさらに豊かにするために付け加えられるものであり、かつ、同時に単なる「超過分」として付加されるものでもあります。デリダによれば、代補は並外れた感染力を持つウイルスのようなものです。デリダによれば、「ウイルスこそ私の著作の唯一の対象であったのだと言ってもいいのかもしれない(※54)」と言います。デリダにとっては、代補の論理以前には何もなく、「代補から起源へと遡(さかのぼ)ろうと願っても、起源に見出すのは代補なのである(※55)」。結局、「初めに代補があった」のです。つまり言葉の中には、初めから、ウイルスが宿っていたということです。

 これもダーウィニズムの突然変異の発想と軌を一にしています。すなわち宇宙線、紫外線、稲妻、ウイルスなどによって、遺伝子の組み換えが行われますが、その際、ある生物のDNAに、外から他の遺伝子のかけらが注入されることに相当するものです。しかし自然界において、遺伝子の組み換えが起きても、ある種が別の種に変わるようなことはありません。それと同様に、代補によって、テキストの意味がどんどん変わっていく、というようなことはあり得ないのです。

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※54 ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』(101
55 同上(102

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 次回は、「ジャック・デリダ⑥~形而上学の否定/絶対的真理の否定」をお届けします。


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