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「性解放理論」を超えて(48)
ジャック・デリダ④~差延

 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 『「性解放理論」を超えて』を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

五 ポスト構造主義を超えて
(三)ジャック・デリダ

(4)差延
 デリダは、意味は常に「違うものになる」ことを説明するのに、「差延」(différance)という名詞を持ち出しました。差延とは、「異なる」という意味だけでなく、時間的に「遅らせる、遅延させる」という両方の意味を含む名詞としてデリダが新たに作ったものです。

 ニコラス・ロイル(Nicholas Royle)によれば、「差延が指し示しているのは、“原子など存在しない”という事実である。……[差延は]ある対象の名前ではない、現前することが可能であるような、何がしかの存在者の名前ではない。そして、そうであるからには、概念でもない(※51)」のです。さらに、「差延の担い手[エージェント]、著者、そして主人であるような主体は存在しない(※52)」と言います。つまり差延を導く主体はなく、差延は戯れていると言うのです。

 高橋哲哉によれば、「要するに差延とは、空間的差異であれ、時間的差異であれ、言語的差異であれ、非言語的差異であれ、空間/時間の差異であれ、言語/非言語の差異であれ、ともあれ差異を生み出しつづける運動なのだ。……差異の戯れとは、もろもろの差異が抹消不可能かつ決定不可能な仕方で、つぎつぎに生まれつづける運動である(※53)」。結局、意味は常に「違うものになり」、「先送りされる」と言うのです。

 差延の戯れとは、ダーウィニズムにおけるアト・ランダムな突然変異に相当するものと言えます。ダーウィニズムによれば、生物の種は突然変異によって絶えず変化していくのであり、不変なる種はあり得ません。しかし突然変異は種を変化させるようなものではありません。種の中での微小な変異にすぎないのです。それと同様に、差延によって、意味が絶えず「違うものになる」ということはありません。表現や発音に多様な変化はあるとしても、意味は基本的に不変なのです。

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※51 ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』(148
※52 同上
53 高橋哲哉『デリダ』(103-4

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 次回は、「ジャック・デリダ⑤~散種/代補」をお届けします。


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