2022.09.14 17:00
中和新聞セレクト Vol.6
家庭理想の実現
毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
第6弾は「家庭理想の実現」(家庭教育局)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
同コンテンツは『中和新聞』2017年4月から連載中のシリーズです。
第3回「生活信仰」を通して神様の似姿に
本シリーズでは、天一国時代の家庭理想実現に向け、家庭教育局の取り組みについて解説します。今回は「生活信仰」について取り上げます。
■孝情をもって父母なる神様に侍る
2015年8月26日、日本において「統一教会」から「家庭連合」への名称変更がなされました。このことは、「教会を中心とした宗教時代」から「家庭を中心とした超宗教時代」に入ったことを意味します。それは、私たちの信仰生活においても大きな転換点となりました。
真のお母様は「文鮮明 天地人真の父母 天宙聖和4周年 聖和祝祭」(2016年陽暦8月19日)で、「天に対する孝情 世の光として」をテーマに掲げ、「天地人真の父母様聖誕記念式・天一国基元節4周年記念式」(2017年同2月2日・2月9日)では、「孝情の光 全世界へ」を掲げられました。
ここに、私たちのもつべき姿勢が示されています。神様は「天の父母」であり、人間は神様の「子女」です。私たちは今、「天に対する孝情」を中心に生きることが願われているのです。
宗教時代は、天を信じる「信仰」が強調されました。旧約聖書に「主なる神」と表現されているように、これまでは僕の立場で神様(主人)に忠実に仕える姿勢が重視されてきたのではないでしょうか。それは、主人に捧げる「忠情(忠の心情)」が願われていたということです。
しかし家庭時代は、父母なる神様に、親子として孝情から侍ることが求められているのです。
■家庭が集う心情共同体を通して摂理を進展
またお母様は、「心情文化芸術革命を成しましょう」「心情文化共同体をつくりましょう」などと語り、「心情文化」の必要性を強調しておられます。私たちが家庭や教会、社会の中で、「ために生きる」愛の文化、心情文化を築いていくことが、天の版図を拡大する鍵なのです。
このように「信仰を中心とした宗教時代」を経て、「心情を中心とした家庭時代」となりました。それは、信仰を土台とした生活(信仰生活)を送ってきた私たちが、生活に根ざした信仰(生活信仰)を本格的に確立する時を迎えたということです。
人間始祖アダムとエバの堕落によって、夫婦の理想、父母の理想、家庭の理想が失われてしまいました。そのため、失った家庭の代わりとなる共同体がつくられました。それが教会です。
これまでは、神様を中心とした個人が教会に集って天の摂理を進めてきました。今後は、神様と真の父母を中心に、各自が教会での役割を担うとともに、その家庭が連合して心情共同体をつくり、天の摂理を進めていくのです。
■「信仰と感謝」が問われる「信仰生活」
宗教時代における「信仰生活」と、家庭時代における「生活信仰」との違いについて、信仰姿勢という観点から具体的に見てみましょう。
前者に問われるのは、まず「信仰と感謝」です。アダムとエバは神様のみ言(戒め)を不信して堕落しました。その失敗を蕩減するため、信じ、感謝することを通して復帰の道を行くのです。ですから、信じて精誠を尽くしてきたにもかかわらず、途中で不信したり感謝できない思いにとらわれたりするという試練が与えられるのです。
試練は、カイン・アベル問題、アダム・エバ問題、公金問題等を通して起こりますが、それは次の三つの「時」に起こりやすいです。
第1は「困難・苦難に直面した時」です。そのような時は、悲観したり落胆したり、諦めの気持ちが湧くものです。環境に対して不平や不満を言いたくなるかもしれません。そういう時こそ、「甘受する心」で天の導きを信じましょう。
第2は「成功・恩恵がもたらされた時」です。そのような時は、傲慢になったり有頂天になったりしがちです。そこに生じた心の隙に、サタンが入りやすいのです。そういう時こそ、「謙虚さ・向上心」が必要になります。よく悔い改めて感謝し、さらに高い目標に向かって前進しましょう。
第3は「精誠・努力が実らない時」です。精誠の限りを尽くして歩んでも、必ず良い結果が現れるとは限りません。うまくいかないことに裁きや怒りの思いが生じることもあります。そういう時こそ、「無私・不変の心」でみ旨に対する姿勢を変えず、さらに精誠を捧げていきましょう。
このように信仰と感謝で試練を乗り越え、神様の似姿になっていくのが「信仰生活」です。
■愛の「動機と実践」が願われる「生活信仰」
次に、家庭時代の「生活信仰」についてです。
信仰の土台の上に心情を中心とした生活をしますが、そのポイントは愛の「動機と実践」です。
神様の似姿になるためには、神様を中心とした愛の動機をもたなければなりません。日々の生活の中で、何をするか(行為)が大切ですが、それとともに、私の中心に何を置き、どのような動機で行うかが重要なのです。
「奉仕」という行為を考えてみると、「相手の幸せのため」という愛の動機をもって行う人もいれば、「自分の利益や名声のため」という動機の人もいるでしょう。外的には善なる行いであっても、自己中心的な悪なる動機でなされたのであれば、神様が働かれることはありません。
自分の心の動きに敏感になり、どのような動機で行動しようとしているのか確認してみてください。そして常に、絶対的な善の基準である神様を中心とした愛の動機をもっていきましょう。
「神様だったらどのように判断されるのか。神様だったらどのようにしてあげるのか…」と考えて歩む人に、神様は必ず役事してくださいます。それは、自分自身を第2の神様、神様の代身者として意識しながら生きるということです。
み言を信じて実践してこそ霊人体が成長し、完成します。さらに実践を継続して、生活化、習慣化、実体化することが大切です。どのような環境においても真の愛を実践するという「行動力」が必要ですが、諦めずに挑戦しましょう。
真の主人は、環境や人に責任転嫁をしたり、自己正当化をしたりしません。あらゆることに対して主人意識をもち、自己の責任分担を果たすという姿勢で臨んでください。そして周囲を愛で感化していく人になりましょう。そのような愛を実践することこそ「生活信仰」なのです。
---
次回は、「孝情の根底にあるもの」をお届けします。
◆ ◆ ◆
※『中和新聞』のご購読は「ネットワン会員」「ファミリー会員」(光言社)にご登録いただくことで可能です。