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第3部 中世期に活躍した人々
⑦イグナチオ・デ・ロヨラ

(光言社『FAXニュース』通巻988号[2005226日号]「キリスト教信仰偉人伝 李相軒先生のメッセージに登場した人々」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「キリスト教信仰偉人伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

教会改革の一翼を担う

 ルターの宗教改革はカトリック教会とプロテスタントとの深刻な対立関係を引き起こしました。しかしその宗教改革が契機となり、カトリック内部からも教会改革を成していく動きが始まります。これが対抗改革(カトリック改革)です。その一翼を担ったのがイエズス会創始者イグナチオ・デ・ロヨラ(14911556)でした。

▲イグナチオ

霊的体験から『霊操』を著す

 イグナチオはスペインの貴族で、ピレネー山脈に近いロヨラ城に生まれます。彼は職業軍人となり、30歳のときにスペイン軍人としてフランスと戦い、足を負傷、一時危篤に陥りますが、ペテロの幻を見、奇跡的に回復するのです。しかし貴族階級の軍人としての将来性が閉ざされた彼は、療養中、キリストや聖人の伝記を読みふけるようになります。そして自分の過去を振り返ったとき、野心に燃えて過ごした日々がとても空しいものに思えたのです。やがて彼はドミニコやフランチェスコが清貧の生活をし、キリストのために戦ったことに心打たれ、自分もキリストの兵士になろうと決心するのです。

 回復したイグナチオは、過去の罪を悔い改めるために聖地巡礼を志します。その旅の途上、スペイン南部のバルセロナ近くの小村マンレサの洞穴で断食をし、熱心に祈りました。そのとき神の啓示を受けるのです。

 彼は苦行で精力を使い果たし、再び病に倒れて生死の境をさまよいますが、その試練を乗り越えて回復したときに、彼はキリストの兵士として勇ましく立ち上がったのです。

 このマンレサの洞穴での霊的体験に基づき、イグナチオは『霊操』を著します。この書は、後にカトリック教会で公認され、イエズス会の心霊修業(黙想)の手引き書となります。『霊操』には、4週間にわたる修業の日課表があり、仏教風に言えば、座禅修行を詳述したものです。

 霊操によって自分の内面を省察し、神のみ言によって自己主管するところから真の信仰が始まります。

 さて、イグナチオは聖職者となるために勉学に勤しみ、やがて同志を得ますが、「霊操」を説くことに対するさまざまな誤解によって、異端の嫌疑をかけられ、迫害されて、3度の牢獄生活を経験します。

イエズス会を創始 世界に宣教師送る

 彼はその迫害路程をも甘受しながら、やがてフランシスコ・ザビエルをはじめ同志6人と共に1534815日、修道会「イエズス会」を設立するのです。

 イエズス会は清貧、貞潔、聖地巡礼の誓いを立て、ローマ法王の命ならば、地の果てまでも「死体のように運ばれ、盲人の杖のように用いられる」ことを義務として熱心な活動を展開しました。イグナチオはイエズス会の総会長に就任。会員は法王と総会長に対し絶対服従を誓約したのです。イグナチオは、会員の質の向上を求め、後に15年間の訓練期間が設けられることになります。

 それが功を奏し、会は急速度に拡大。やがて全世界に宣教師を送り出すまでになっていきます。

 イエズス会は、高度の教育を施すことに力を注いだため会士らは知性が高く雄弁でした。その努力がカトリック教会全体の信仰を刷新し、かつての権威を取り戻させ、プロテスタントへの反撃となったのです。

 イエズス会の功績は大きく、格言として「7歳までのあなたの子を私にゆだねなさい。その子は生涯カトリック教徒となるでしょう」といわれたほどです。

 イグナチオの生涯と教えを見るとき、真のお父様の教えの基本である「天宙主管を願う前に自己主管せよ」「怨讐を愛しなさい」「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」と同じ世界を感じます。彼は『霊操』の「愛に達するための観想」の中で、「まず第一に注意すべきことが二つある。第一に愛は言葉よりも…行いによって示されなければならない。第二に愛は二人が相互に譲与し合うことである。…一方に知っていることがあるなら、知らない相手に知らせ、名誉や富を持っているなら、持たない相手に与え、また相手も同じようにするのである」と述べています。まさに彼は原理を悟った人でした。

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 次回は、「フランシスコ・ザビエル」をお届けします。